『柄本家のゴドー』☆☆☆★★


映画『柄本家のゴドー』予告編

 十数年前のある夜、中央線沿線のミニシアターでピンク映画のオールナイトを観ていた。何本目だったか、場内が暗くなって上映が始まる直前に中年とおぼしき男が隣に座った。おそらく、終電を逃した男がオールナイト上映を見つけて入ってきたのだろう。大きく仰け反って座る姿に、直ぐにでも寝そうな雰囲気が漂っていた。そういう気ままな映画の観方は嫌いではないが、評判のピンク映画をようやく捕まえて観に来た身としては、煩くしないでくれよと祈りつつ、上映が始まった。

 始めは退屈そうに見えた隣の男は突然、身を乗り出して食い入るように画面を凝視し始めたかと思うと、しばらくすると身体を後ろに大きく倒して、寝るんじゃないかと思うほどグッタリしている。そしてまたガバっと起きて前のめりになった。最初は落ち着きのない奴めーーとしか思っていなかったが、やがて劇中の芝居や際立つ演出に反応しているのが分かった。場内が明るくなって、さりげなく隣の男の顔を見ると、柄本明だった。 

 『柄本家のゴドー』は、柄本佑柄本時生の兄弟による演劇ユニット「ET×2」がサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を上演するまでの稽古を記録したものだ。2014年に初演し、「一生つきあっていける戯曲に出会った」と語る柄本兄弟は、2017年の再演にあたって演出に柄本明を迎えた。まさに柄本家の人々によるゴドーである。

 監督が撮影監督の山崎裕だけあって、演劇に拮抗しようとか、小手先の演出でまとめあげようと思っていないところが良い。そもそも最初は作品にしようとも思わず、稽古風景を撮りたいと思ったところから出発しているだけあって、漂うように稽古場でキャメラが回り始める。

 柄本明の演出は観念的な言葉ではなく、「それは(台詞を)早く言ってるだけなんだよ」などとシンプルな言葉を連ねて修正を指示する。そして僅かな言い回し、歩き方に注文を付けて、遂には舞台に飛び上がって実演してみせる。それをじっと観察した息子たちは、その動きを真似、やがて習得していく。

 舞台の稽古を映す場合、演出家の激昂やら、演技者がそれに萎縮する姿がこれ見よがしに撮られがちだが、本作にはそうしたものはない。父は手取り足取り繰り返し説明しながら芝居を構築していくが、相手が息子だからといって特に厳しくするわけでも、手加減するわけでもない。息子たちも、後になると父のダメ出しを恐れたと語るが、画面に映るのはそうした緊張感を楽しんでいるかのように真剣に明の言葉に耳を傾ける姿だ。

 稽古風景が延々と続くだけでは単調になりそうだが、やがて本作は〈柄本明の顔の映画〉であることが分かる。舞台上の柄本兄弟と客席側で演出する父の姿は逆三角形の構図となり、キャメラはこの三角点を遠回しに撮りながら視点を探り、柄本明の顔を発見する。嬉々とした表情で大きな笑い声をあげて舞台を見つめているかと思えば、別日には険しい表情でダメ出しを続ける。刻々と変わり続ける顔はいつまで見ていても飽きることがない。そのクローズアップこそが映画であり、この豊かな表情を引き出させるのが『ゴドーを待ちながら』である。

 十数年前、隣の席でピンク映画を観ていた柄本明は、どんな表情だったのだろうか。

 

4月20日(土)より、ユーロスペースで公開。