『時をかける少女』をめぐる映画監督たち

細田守大林宣彦の奇縁

 今のところ9回にわたって映像化(そのうち映画は4回)されてきた『時をかける少女』だが、最初の映画化となった大林版『時かけ』(83)が与えた影響は絶大である。大きすぎると言っていい。実際、細田守版は、いかに大林版からの呪縛から逃れるかが、ひとつのテーマだった。

 細田と大林には意外な縁がある。細田がプロのアニメーションの世界に足を踏み入れるきっかけとなったのが、『少年ケニア』(84)――角川映画が『幻魔大戦』(83)に続いて製作した劇場アニメーションである。監督は大林、主演声優は原田知世高柳良一という前年に大ヒットした『時かけ』の監督・主演コンビだ。

 劇場アニメーションに実写畑の監督が参加すると、往々にして監修的な立ち位置になりがちだが、大林は細部まで自身の意図を反映させたことで、『少年ケニア』は良くも悪くも語り継がれる作品となった。「アニメーションに関するあらゆる実験を試みました。線画だけの表現。色のコマ塗り。アニメの画面に実写の雨が降る。描かれたアニメにオプチカルをかけて、ソラリゼーションを起こさせる。実写の人物がアニメの中を歩く」(『4/9秒の言葉 4/9秒の暗闇+5/9秒の映像=映画』大林宣彦 著/創拓社)と大林が語るように、メジャー映画と実験アニメの融合とも言うべき不可思議な味わいの作品になった。

 常識破りの作品らしく、この作品では、新人アニメーターを一般公募するという企画が立てられた。当時、高校1年生だった細田は、「素人を使うなんて無茶苦茶な企画だと思ったけれど、そういえば大林監督も自主制作から商業映画監督になった人だし、ちょっと変わった面白いフィルムになるだろう」(『キネマ旬報 2006年3月上旬号)と、中学3年の時に8ミリで自主制作したペーパーアニメを応募することにした。すると、さっそく制作にあたっている東映動画(現東映アニメーション)のプロデューサーから、上京して作画の打ち合わせに入りたいと連絡が来る。高1にして細田は、大林映画のアニメスタッフに採用されたわけだ。しかし、テストが迫っていたために都合がつかず、結局、細田の『少年ケニア』デビューは幻に終わってしまう。

 これだけなら、どうということはないが、細田と大林の奇縁には続きがある。金沢美術工芸大学在学中、学祭の実行委員長を務めていた細田は、〈大林宣彦ピアノ・リサイタル〉なる催しを企画する。曰く、「大林さんはご自身でピアノを弾かれたり、作曲されたりするということを知っていたし、『少年ケニア』で大林さんとご縁があると思いこんでた」(前掲)。

 そこで、大林に連絡を取るためにたどった伝手が、高校生の頃に『少年ケニア』で連絡してきた東映動画のプロデューサーだった。ところが、先方は細田がいよいよアニメーションの世界に入るために頼ってきたのだと思い込み、スタジオを紹介しようと申し出る。こうして細田東映動画へ籍を置くことになり、アニメーターとしてのキャリアを歩み始めることになる。大林宣彦と『少年ケニア』が、細田の運命を決定づけたと言っても過言ではあるまい。なお、〈大林宣彦ピアノ・リサイタル〉は細田のアニメ業界入りのため、実現しないまま終わった。

 

大林宣彦角川映画

 大林版『時かけ』は、角川映画と大林映画の時ならぬ結合がもたらした〈個人映画的大衆娯楽映画〉というバケモノ的様相を呈している。それゆえに、細田版は全く異なるアプローチを取ることで秀作となったが、では、どうやって大林版は生まれたのか。その秘密は、角川映画大林宣彦の関係を繙かねばならない。全ての始まりは、大林のこの言葉から始まった。

角川春樹さんよ、あなたが大林宣彦を使える時代がはやくきたらいいでしょうね。」

 1978年末、映画評論家の石上三登志が責任編集を務めた雑誌『季刊映画宝庫 NO.9』(1979年新年号)で行われた石上と大林による対談の席での発言である。後に角川映画を代表する監督として知られるようになる大林が、当時、角川映画を総指揮していた角川春樹に向けて、なぜこんな言葉を発したのか説明が必要だろう。2人には、〈日本映画界〉に登場したのが、ほぼ同時期だったという共通項がある。

 1976年、角川春樹は初プロデュース作『犬神家の一族』で角川映画を誕生させた。映画製作は角川文庫を売るためと言い切り、続けて製作した『人間の証明』『野性の証明』は、莫大な製作費をかけた派手な大作を、TVスポットと主題歌の合わせ技でメディアミックスを展開し、大量宣伝によって映画と文庫を売りつける手法は、旧来の日本映画界から、顰蹙を買うに充分だった。

 一方、1977年に『HOUSE』で商業映画監督としてデビューした大林宣彦もまた、映画人からは白い目で見られていた。個人映画の旗手として1960年代後半にアンダーグラウンド映画で注目を浴び、その後はCMディレクターとしてヒットメーカーになった大林は、商業映画にCMの方法論をそのまま持ちこんだ。古めかしく、退屈な日本映画にうんざりしていた若い世代からは熱狂的に支持されたものの、年長者たちは、映画以前のシロモノと批判した。

 角川映画と大林映画は同時期に日本映画界に参入し、こんなものは映画に非ずと難詰された点で共通するだけに、互いを意識しないはずがなかった。実際、角川春樹は、『HOUSE』を劇場に飛んで行って観たという。初期の角川映画は、大作志向が強かったこともあり、撮影所出身の市川崑佐藤純彌といったベテラン監督たちを起用して、角川映画と〈日本映画界〉の齟齬を埋めざるを得なかったが、本来は大林――そして後に角川映画に参入してくる相米慎二根岸吉太郎といった新世代の監督たちと組むことが、角川春樹の理想とする映画作りに近いはずだった。

 大林と角川春樹の出会いは、1975年に遡る。ATGが製作した横溝正史原作の『本陣殺人事件』に大林は音楽監督角川春樹は企画協力として関わっていた。監督は大林の盟友である高林陽一である。大林は、「この映画がひとつの契機となって角川映画の第一作『犬神家の一族』がスタートするのだが、この横溝正史映画の監督が同じ高林陽一君でなかったことを、ぼくはこの旧友のためにだけでなく無念な気持ちで受け止めた。『新進気鋭の独立映画作家としては、ずい分安定路線の地味な起用だなぁ』というのが当時のぼくの市川崑監督についての素直な感想である。」(『映画芸術』1994年冬号)と、始まったばかりの角川映画への印象を記している。だからこそ大林は、「角川春樹さんよ、あなたが大林宣彦を使える時代がはやくきたらいいでしょうね。」という挑発的な発言をしたのだ。

 

細田版『時かけ』と『金田一耕助の冒険』の共通点

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 そして1979年、遂に角川映画と大林がタッグを組む時がやってきた。最初の作品は、『犬神家の一族』の大ヒット以来、各社で続々と映画化され、テレビドラマも高視聴率を記録していた横溝正史原作の『金田一耕助の冒険』である。1979年は映画だけでも、『金田一耕助の冒険』以外に、『悪魔が来りて笛を吹く』(東映)、『病院坂の首縊りの家』(東宝)が製作され、横溝ブームのピークを迎えていた感がある。

 したがって、〈高林陽一に『犬神家の一族』の監督を〉と大林が夢見た時と違い、もはや金田一映画を撮るのは、斬新な試みでも何でもなかった。むしろ作られすぎて、またかという食傷気味の反応すらあった。そこで角川春樹プロデューサーは、この映画を金田一映画のみならず、批判の多い角川映画のパロディまでも含んだ〈日本初の本格的パロディ映画〉にしてしまった。また脚本とは別に、ダイアローグ・ライターとして、つかこうへいが起用されている。

 大林×つかこうへいという組み合わせは今思ってもかなり乱暴だが、「最初の打ち合わせでも、金田一自身が事件を本当には何ら解決していないという気まずさを前面に出してみようとか、『ヨシ!わかった』の迷セリフで従来の金田一シリーズに欠かせなかった等々力警部に、もっと“敵”としての金田一に対する嫌悪感を出させようというアイデアが出されている」(『週刊明星』1979年4月22日)と、製作発表の段階で破天荒な作品になる予感にあふれているが、完成した映画は更にハチャメチャというか、収集がつかなくなっており、数ある映像化された横溝正史作品の中でも、今に至るまで評価が定まっていない。

 それでも、つかこうへいらしい台詞回しが随所に取り入れられたこともあり、固定化された金田一のイメージを壊そうとする意欲があふれた作品になっている。ダイアローグライターとして、つかの参加がどの程度作品に変化をもたらしたかは、つかの参加前後の脚本を比較してみれば明らかである。脚本の第二稿では事件が終わった後、残された謎について話題が出ると、金田一は、「芸術と言うものが、全て憎かったんだな。きっと」「芸術とは、全てを美化するものだよ。ハハハ……」と言うだけだが、そこにつかの筆が入ると、こうなる。

 

 金田一「(うらみがましく泣きベソをかいて)だいたい事件ってのは一から一〇までキッチリ納まるところに納まるってもんじゃないですよ、現実には。どうしたって矛盾があとに残るもんなんですよ。それをワンパターンっていわれりゃ立つ瀬がありませんよ。日本の犯罪ってのはどうしたって家族制度や血の問題がからんできちゃうんだ。それは日本の貧しさなんです。等々力さん、探偵ってのは一つの事件に対して怒りや憤りをもっちゃいけないものなんですよ。ひとつの事件からどう拡がっていくのだろう、そしてこの一つの殺人がもう一つ殺人を生むんじゃないかしら、そうこう考えることが楽しいんでしよね。私だって事件の途中で犯人を予測できるんだ。でもね、でもむやみに阻止すべきじゃないって気がするんですよ」

 

金田一耕助の冒険』脚本より

 

 饒舌に独白を続けるという、いかにもつかこうへいらしい台詞に書き換えられているが、舞台を現代に設定し、片岡千恵蔵が演じた初代金田一耕助よりも更に前に作られていたという三船敏郎が演じる〈真の初代金田一〉を登場させるなど、オリジナルへの目配せをしつつ解体する構造は、細田版『時をかける少女』に通じるものがある。細田版『時かけ』は大林版『時かけ』と対比されることが多いが、むしろ『金田一耕助の冒険』にこそ、大林宣彦細田守に共通する機知に富んだ軌跡が刻まれていると言えるのではないか。

 

それぞれの『時かけ』リメイク構想

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 大林宣彦が映画監督として評価を確立したのは、故郷の尾道を舞台にした『転校生』(82)だが、クランクイン直前にスポンサーのサンリオが降りたことで製作中止の危機に見舞われる。大林は、その前に『金田一耕助の冒険』、『ねらわれた学園』(81)を角川映画で撮っていたことから、角川春樹に救けを求めた。大林はその時の光景をこう述懐する。「『転校生』を自ら製作できないことを彼がどれほどくやしがったか。『ウチの本ではないからなァ!』と彼は天を仰いで慨嘆したものだ」(『映画芸術』1994年冬号)。角川映画は自社の文庫本を売るために映画を作るのがタテマエだった。『転校生』の原作は当時、旺文社から発売されており、角川映画が手出しできなかったのだ。その復讐戦となったのが、翌年、尾道で製作された角川映画時をかける少女』である。

 それから20数年を経て、角川映画で〈転校生〉が作られた。『転校生 さよならあなた』(07)は、大林にとって『彼のオートバイ、彼女の島』(86)以来、約20年ぶりの角川映画である。もっとも、1992年に角川春樹と大林は「ある恐竜映画の演出依頼の件」(『映画芸術』)で会ったという。時期的にも『REX 恐竜物語』(93)と見て間違いないだろうが、『全てがここから始まる 角川グループは何をめざすか』(佐藤吉之輔 著/角川グループホールディングス)によれば、「カナダでの製作をめざした『恐竜物語』もおよそ七億円を投じながら契約トラブルを生み、国内で春樹監督による製作『REX 恐竜物語』(松竹配給)に切り替えられた」ことで公開スケジュールも決まっていたことから、急遽、国内での製作に入らねばならなくなったという。

 しかし、公開までの期間が短く、角川は数人の監督に打診したが引き受けられる者はおらず、自ら監督せざるを得なくなった。おそらく大林もそうした監督候補の一人だったのだろう。実際、大林は『REX 恐竜物語』と1週違いで公開された『水の旅人 侍KIDS』(93)を手がけており、物理的に不可能という事情もあったのだろう。

 あだしごとはさておき、『転校生 さよならあなた』が角川映画で実現した時、あれほど『転校生』を角川映画として作ることが出来ないことを嘆いた角川春樹の姿はなかった。1993年、麻薬及び向精神薬取締法関税法違反の容疑で逮捕され、角川映画から姿を消していた。

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 だが、角川春樹の映画復帰は早かった。保釈期間中に角川春樹事務所を設立し、再び映画製作を再開したのだ。復帰作は自らが監督した『時をかける少女』(97)である。なぜ、かつてプロデュースした作品をリメイクするのか。その理由を角川は、これまでプロデュースしてきた作品の中で製作費をかけずにリメイクできるものはこれしかなく、また10年後、20年後にもリメイクされる可能性が高い作品であることを挙げている。そして、筒井康隆の原作を、自ら新しく興した出版社の文庫に入れることが可能になったことを付け加えている。

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 こうしてリメイクされた『時かけ』は時代設定を昭和40年代に設定し、モノクロで、CGもオプチカルも使わずに撮られた。これは、まさに大林版の真逆のアプローチこそがリメイクの可能性と勝因になり得ると考えた上でのことだろう。「今回がリメイクというより、前の作品の方が今回のリメイクというような感じにしたかった」(『キネマ旬報』1997年11月下旬号)という角川の発言は、細田版にも通じる再映画化の高度な戦術と言えよう。なお、この角川春樹監督版『時かけ』のナレーションは原田知世が担当している。

 ところでこの時期、大林はしきりと『時かけ』リメイク構想を語っていた。ハルキ文庫に収録された『時をかける少女』の巻末解説で詳しく語っているので引用しよう。

もしぼくにもう一度チャンスがあれば、今度はもう特撮など使わず、これをある兄妹の物語として描きたいと考えていた。“愛し過ぎた兄と妹”との“禁断の恋”の物語である。深町君は、死後の世界から妹に会う為に還って来たのである。タッチは日本映画の抒情的古典、木下恵介監督の〈夕やけ雲〉のような味わいが宜しかろう。

  その後、『三毛猫ホームズの推理』(98)で大林はこの構想の一部を流用し、アンニュイな兄と妹の物語に創り変えている。それにしても、角川春樹大林宣彦もCGが隆盛を迎えようとしていた時代にあえて拒絶し、VFXを使わない『時かけ』を撮ろうとしていたのが興味深い。こうして見ていくと、自分たちが作った『時かけ』に、プロデューサーも監督自身も縛られまいと抵抗してきたことが分かるはずだ。細田版が原作をリスペクトしつつ解体して、見事に再構築させたのは、こうした角川春樹大林宣彦のリメイク構想を踏まえても、必然だったと言えるだろう。