〈俳優・坂本龍一〉の軌跡 (第2回)

幻の主演映画『ハリウッド・ゼン』

 『ラストエンペラー』以降の坂本龍一の俳優活動は、現段階では『ニューローズホテル』(98年)のみである。この作品で坂本は、銀縁眼鏡で冷徹な大企業の役員を演じているが、顔出し程度の役で特筆するほどではない。それよりも、この前に幻の出演作——それも、『戦メリ』『ラストエンペラー』を超えて代表作になっていたかも知れない主演作が存在した。それが大島渚監督の『ハリウッド・ゼン』である。

 フランス映画『マックス、モン・アムール』(86年)以来、新作が途絶えていた大島は、『戦メリ』のプロデューサー、ジェレミー・トーマスに新作の企画として、サイレント映画時代にハリウッドで大スターとなった日本人、早川雪洲を描く企画を提案した。

 もっとも、もとを辿れば、マックス、モン・アムール』をパリで撮影中の大島にパリ在住の日本人ジャーナリスト・平井ゆかりが取材で対面した後、自ら書いた脚本を持参したのがきっかけである。平井が書いてきたのは、1923年にパリを訪れた大杉栄アナーキストらとの会談を重ね、やがて逮捕されて国外退去処分となった実話をもとにした企画で、大島は興味を示した。なお、この1923年に日本へ強制送還された後に大杉は、前回記した関東大震災の騒乱に乗じて憲兵大尉の甘粕正彦に虐殺されることになる。

 平井が次に提案したのが早川雪洲の企画だった。大島はこの企画にも乗って、平井に脚本を書かせた。大島が改訂を指示するなど、しばらく脚本作りにかかっていたようだが、ある時、大島は単独で同じく早川雪洲を主人公にした異なる視点からの脚本を執筆することにした。言わば、若い映画志望者の企画を奪ったようなものだが、なんらかの形で納得させたのだろう。これ以前にも大島は『愛のコリーダ』(76年)の時も、旧知の脚本家・映画監督である深尾道典に脚本を書かせたが、ある時、全て引き取って単独で脚本を書いた。それが後に深尾から批判されたこともあったが、全てを一から作り出す映画監督がいる一方で、他人の才能から企画のきっかけを掴む監督もいる。『愛のコリーダ』以降の大島は、自分が作りたい映画というよりも、海外のマーケットを意識したエキゾチックな企画を好むようになっていく。

 大島の単独執筆で進み始めた『ハリウッド・ゼン』だが、脚本作りは難航する。大島によれば「困ったことに、調べれば調べるほど考えれば考えるほど、セッシュウは魅力あるキャラクターとして浮かび上がって来ないのである。たしかに明治の日本人男性として、現在の日本人男性などよりはるかに強い精神性、肉体的人格を持っていたことは事実である。しかし、それは逆にいえばマッチョということであり、その女性関係などはとうてい現代の女性の容認できるところではない。」(『戦後50年映画100年』大島渚 著/風媒社)

 こうして、当初は早川雪洲のハリウッドでの成功を描く企画が、やがて彼の妻で女優の青木ツルを中心に、雪洲を追い抜いていったルドルフ・ヴァレンチノをめぐる内容へと変わっていった。脚本が完成し、キャスティングの検討が始まると、雪洲役を坂本龍一にと最初に言い出したのは、ジェレミー・トーマスだった。大島も最初から坂本を想定していたが、プロデューサーが言い出すのを待っていたという。妻・青木ツルに相応しい日系女優が見つからず、『ラストエンペラー』で皇后役だった中国人女優のジョーン・チェンが選ばれた。そしてヴァレンチノ役はジョニー・デップを始め幾つも候補が挙がった末にアントニオ・バンデラスが決まった。

 製作費70億円、1991年11月4日クランクイン、翌年1月末クランクアップ予定の大島映画としては空前の大作である。坂本は10月から開始予定だったワールドツアーを延期して雪洲役に打ち込むと語り、カナダのトロントにロケ地も決定するなど、着々と撮影開始に向けて進んでいた。ところが、セットの建込みも始まり、あと数週間でカメラが回ろうとする中、突如として製作が中断した。ジェレミー・トーマスが行っていた製作費の調達に見込みが立たなかったからだ。当時、彼はベルトルッチの『シェルタリング・スカイ(90)の興行が不発に終わり、苦境に立たされていた。結局、製作は一時中断し、半年後の1992年5月下旬に撮影開始が延長されることになっていたが、これもまた延期となり、同じくベルトルッチの『リトル・ブッダ(93)がヒットすれば今度こそ『ハリウッド・ゼン』も――という望みも虚しく、幻の企画となって終わった。

 だが、撮影寸前まで進んだだけに、〈俳優・坂本龍一〉がこの作品でどう映されようとしていたかを窺い知ることができるヒントを大島は残している。例えば1992年春には、こう発言している。「彼(坂本龍一)には男の色気があるし、どんなときもサマになる人間的な華やかさがある。『戦メリ』から10年、英語も完璧になり一段とスケールアップした坂本さんなら雪洲を演じきれる」(『キネマ旬報19924月上旬号)

 そして、音楽も担当することになっていた坂本は「今回の映画ではジャズの時代の1920年代をどう表現するか自分も楽しみにしており、『戦メリ』以上の作品にしたい」(前掲書)と抱負を語っている。『ハリウッド・ゼン』の製作中止は、俳優としての坂本龍一の新たな飛躍と、音楽家としての坂本龍一のキャリアに加わっていたかも知れない可能性が無くなったという意味でも惜しまれる。

 

 

坂本龍一とハラキリ

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 その後、『マックス、モン・アムール』から13年の歳月を経て、大島は新撰組を描いた『御法度』(99年)を撮り、坂本は音楽監督として参加した。出演も、という話はあったようだが音楽に専念している。

 ところで、近年になって『ハリウッド・ゼン』の脚本が公刊(『大島渚著作集 第四巻 敵たちよ 同士たちよ』大島渚 著/現代思潮新社)されたことで、初めて内容の詳細も明らかとなったが、ここでも前述した坂本龍一と〈切腹〉をめぐる因縁が含まれている。それは、早川雪洲が自宅マンションのプールサイドで、ある日本人から刀を贈られるシーンに見られる。

 その刀を雪洲は傍らにいた俳優志望のルーディーことルドルフ・ヴァレンチノの喉元に突きつける。脚本には「雪洲は声を出して笑う。ルーディーは雪洲に微笑む」と、後に雪洲を追い抜いていくことになるヴァレンチノとの嫉妬愛憎を予感させる描写が書き込まれている。

 そして、刀を持ち込んだ日本人が「この刀は、乃木将軍の持っていた刀の作者によって十六世紀に作られたものです」と説明すると雪洲は怒り始める。

「なぜ乃木将軍の話をするのかね? それは日本でのことだ。私はここに住んでいる。乃木将軍には何の興味もないね」

 ルーディーが乃木将軍とは誰かを訊ねると、雪洲は「乃木希典大将は日露戦争のヒーローだった。彼は天皇の葬式の日に切腹したんだ。儀式的な自殺だけれど」と答える。さらにルーディーが戦争に勝って自殺したのか疑問を呈すると、雪洲は言う。

「自分の主人の死出の旅のお供をするというのは、日本古来の風習なのさ」

 雪洲にとって、明治天皇と殉死した乃木将軍は極めて古めかしい日本人的な美的感覚の持ち主であり、多くの日本人のような崇拝の対象ではない。そして刀を持ち込んだ日本人へ「雪洲はアメリカでは刀は必要ないということをどうかおぼえておいて下さい。僕にはスパゲティと禅があれば充分です」と言い放つ。坂本龍一が『ラストエンペラー』の切腹シーンを拒否し、『MISHIMA』の三島由紀夫役を断る背景に見え隠れした〈切腹〉という儀式への嫌悪を、間接的ながら鮮やかに描いてみせたシーンと言えよう。

 ここで坂本の俳優としてのキャリアの始まりとなった『戦場のメリークリスマス』を思い出してみよう。この作品もまた朝鮮人軍属に切腹させようとするハラ軍曹(ビートたけし)のもとへ坂本が演じるヨノイ大尉が現れるところから映画の幕が開く。〈俳優・坂本龍一〉は切腹と共にあり、そうした行為を取ろうとする者が現れると、映画の内と外に関係なく、直ちに止めるように働く存在だった。「またファナティックなバッド・ジャパニーズを演じてしまうのか」と、ぼやきつつも、そうした役を引き受け、それでいて切腹は拒絶する矜持を持つ日本人を演じ続けていたのが俳優・坂本龍一である。

 

【次回は7月20日更新】

 

主な参考文献

『季刊リュミエール』(筑摩書房

大島渚著作集 第四巻 敵たちよ 同士たちよ』(大島渚 著/現代思潮新社)

『戦後50年映画100年』(大島渚 著/風媒社)

月刊イメージフォーラム 1983年 4月増刊 「これでもまだ君は大島渚が好きか!?』(ダゲレオ出版)

ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー

『MISHIMA』(垣井道弘 著/飛鳥新社