『小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム 名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台』

老いたガイキチもやはりガイキチを知る

  生きていると、いろんなことが起きる。まさか、81歳の小林信彦と、72歳の萩本欽一が、喜劇人について語った本が2014年に読めるとは!

   『日本の喜劇人』(新潮文庫)の著者である小林信彦には、横山やすし植木等藤山寛美伊東四朗渥美清らの評伝もある。リアルタイムで見て活字で評価してきたものを、現在の目で再構成できるのだから怖いものがない。しかもテレビ番組の構成作家、原作者といった立場で彼らの内側も垣間見ているので、小林信彦によって書かれる喜劇人の本は、めっぽう面白い。優れた観客であり、批評家であり、作り手でもあったことで、内と外を同時に俯瞰することが可能になるのだ。

 時間が許せば、谷啓青島幸男萩本欽一の評伝も書かれたのではないかと想像したが、それらのエッセンスは『テレビの黄金時代』(文春文庫)に凝縮されている。

  短いコラムなどを別にして、小林信彦が喜劇人の本を出すことは、もう無いと思っていた。2008年に新潮社から箱入りの『定本 日本の喜劇人』という大冊が出版されたが、ここには『日本の喜劇人』『日本の喜劇人2(『植木等藤山寛美喜劇人とその時代』→『喜劇人に花束を』改題)』『おかしな男 渥美清』(喜劇人篇)、『笑学百科』『天才伝説 横山やすし』(エンタテイナー篇)が収録されており、まさに小林信彦の喜劇論を集大成にした一冊であった。

  実際、その後はエンターテインメント系のコラムで健筆をふるう一方で、『日本橋バビロン』『流される』(文春文庫)という私小説と随筆の中間にあるような世界を展開させており、老年期に相応しい仕事を見せている。それだけに、唐突にも思わせるタイミングで萩本欽一との対談本が発売されたのには驚かざるをえなかった。その謎は、巻末のあとがきの冒頭に小林が記した一文で明かされる。

 「突然、集英社の人から電話が入って、萩本欽一さんが私から話を聞きたい、そして本をつくりたい、という希望とのことだった。」

  この手があったかと思った。本書は萩本の企画であり、萩本が聞き手なのである。そうでなければ、喜劇人に対して一見識があり、気難しいと言われる小林が、そう簡単にこんな本を出すわけがないでしょうが。

   芸人とは距離を置いたつきあいをしてきた小林にとって、萩本は例外的な存在である。『24時間テレビ』でマラソンをすると聞けばテレビで応援し、長野五輪で欽ちゃんが司会をすると聞けば五輪嫌いやテレビ嫌いを覆して見る。

 「ぼくは萩本欽一が心配なので見たのだ。」「欽ちゃんがみっともなくなると困るな、というのが正直な想いだったから」(『人生は五十一から』文春文庫)

  もっとも、60年代後半は別にして、のべつ会っていたわけでもなく、時折、顔を合わせていたに過ぎない。

  今回の対談の布石となったのは、5年前に元日本テレビのプロデューサー井原高忠の傘寿のパーティで再会したことだろう。この時の様子は『欽ちゃん!』(『森繁さんの長い影』文春文庫)に記されているが、「三十年ぶりぐらい」に会った欽ちゃんとの対話が再現されている。小林らしいのは、昔話をするのではなく、コント55号全盛期のアーカイヴ映像で欽ちゃんのトリビュート番組が作れないかと、かねての持論を本人にぶつけるところである。

  小林と萩本の関係については、「三十年」ぐらい前に小林自身が記したフレーズが最も的を射ていると思われる。曰く「ガイキチはガイキチを知る」。

  ガイキチとは、キチガイの意である。1977年末、小林は萩本と5年半ぶりに再会した。2人で密談をするうちに、「欽ちゃんは燃え上がって、来年は勉強をするために、日本テレビの番組をオリる、と、突然、言い始めた。」。ガイキチ小林との会話がガイキチ欽ちゃんに刃物を持たせたわけである。その状態を小林は「ガイキチはガイキチを知る」と言ったわけだ。

  それから35年後に行われた本書の対談は、老いたガイキチもやはりガイキチを知る――とでも言いたくなる内容になっている。81歳になっても、小林は抜群の記憶力と、当時の日記、資料も駆使して立体的に構成する作家としての視点を持って対談に挑んでいるだけに、必然的に萩本も「燃え上が」る。

  ただ、正直言って、無類に面白い対談であることは間違いないが、小林の著作をつぶさに読んでいれば、大半は既に書かれた話だけに、内容だけを取り出せば刺激に乏しいのはやむを得ない。ここで威力を発揮するのが聞き手の萩本だ。ある時期からは日本の喜劇人たちの目撃者となり、同業者となり、やがて突出した存在になる。既に書かれていた話でも、萩本がそれを受け、更に小林が返す言葉には、これまでに語られたことがない零れ落ちたエピソードや印象が含まれることになる。そのなかでも、特に印象深いのは、石田瑛二という今では忘れ去られた浅草芸人について盛り上がるくだりと、三木のり平八波むと志が演じた『源氏店』のボケとツッコミを萩本が再現して小林が大笑いするくだりだ。後者は誌面で読んでもたいして面白いわけではないが、芸人に対して芸人が面白かったと伝えるためには、こうするしかないのだということが、喜んでいる小林の反応からも伝わってくる。

  本書で語られる芸人の大半は過去の人物だが、2人とも懐古譚をする気はさらさらない。本書は若者に向けて語られた『日本の喜劇人〈対談篇〉』であり、『日本の喜劇人〈普及篇〉』である。その若々しい視点が本書の最大の魅力であり、愛すべきガイキチたちの笑いへのこだわりを、読者はただひたすら愉しむのみである。