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『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』☆☆☆☆

監督/若松孝二  脚本/掛川正幸 出口出 大友麻子  出演/坂井真紀 伴杏里 地曵豪 大西信満 中泉英雄 桃生亜希子 並木愛枝 ARATA 坂口拓 小倉一郎

2007年 日本 カラー ビスタ  190分

  1970年前後に『テロルの季節』『性賊 SEX JACK』『天使の恍惚』など、現実よりも僅かに先を走る映画、予感の映画を撮り続け、連合赤軍事件をも予感させた映画を撮った若松が、『実録・連合赤軍』のタイトルで過去を描く。それは、総括なのか、新たなる展開なのか、後退なのか。

  開巻の吹雪の中を進む人々を捉えたロングから直ぐに引き込まれる。前作『17歳の風景 少年は何を見たのか』の雪には魅力を感じなかったが、今回の雪は凄い。同じ監督、カメラマンで何が違うのか。

 本作は明確な分け方はされていないが、三部構成となっている。60年代の時代背景と連合赤軍成立までの歴史をスチールを多用して原田芳雄のナレーションで見せる第一部。ここでは、それらの描写の合間に重信房子永田洋子ら主要人物達の学生運動への目覚めを短くインサートして見せていく。

 この第一部は、60年代~70年代前半の若松作品のセルフリメイクと言って良い描写に満ちている。最も象徴的なのは、黒バックに赤ヘルでその場で足踏みしているカットにOLでデモ風景を被せるという見せ方で、これは『狂走情死考』などでも使われていた手法だ。どれだけ意識的かは分からないが、今では使われることのない手法をここで再び用いていることに、セルフリメイクとしての第一部が浮かび上がってくる。更に言えば、新聞での見出しの見せ方も同様で、遂には『天使の恍惚』の主題歌『ここは静かな最前線』までが、渚ようこのカヴァー版で闘争の計画を練っている際にバーのBGMとして流れてくる上、ピース缶を投げる描写ではOLしているので若干分かり難いが、同じく『天使の恍惚』の該当シーンから抜粋している。

 確かに過去の若松作品と『実録・連合赤軍』を比較して最も近い作品となると『性賊 SEX JACK』『天使の恍惚』になるかと思うが、殊に『天使の恍惚』は構造的に最も近い。それだけに自ずとリメイクに近い形になってしまうのだろうが、前述のような箇所だけでも、意識的にそれが行われたのではないかと思える。

 それだけに、第一部を観ている段階では、これは若松作品の集大成的な作品になるのだろうと予想した。だから使い古した手法を敢えて持ってきて、全部総ざらいする気なのかと思った。

 個人的には『天使の恍惚』という作品は繰り返し観ているし、愛着もあるが、作品の完成度としては若松作品の中ではそう高くないと思っている。大きいハナシを展開させる際の組織の描写が、四季協会という名称や個人名の呼び方が安っぽいという問題もあるのだが、映画版の『怪人二十面相』みたいな雰囲気で、それまでのもっと低予算の作品でも感じなかったチープさがやたらと漂い、個的闘争そのものを描いてきたそれ以前の作品と違い、時代の状況をより大きい規模で捉えることの困難さ、大状況を描くに足りる予算の無さが痛々しかった。それは、『実録・連合赤軍』においても同様で、既に歴史上の大きな出来事であるその時代の状況を描くことの困難さを感じた。つまりは予算の限界が現在の街を背景にしている限りはかなり出てしまうということも大きいが、現在の建物を前にして、現在の顔の役者たちが、それも顔の知られた役者は極く少なく、演技も危うく感じる上にモブシーンを見てもエキストラは皆現在にしか思えない服装、表情でデモをしている空虚さなど、引き込まれつつも、決定的なものが欠けた作品になってしまうのではないかと思った。

 ところが、第二部とも呼ぶべき山岳ベースに移ってからは、映画が一変する。

 時代性を喪失した自然の風景を前に小屋が作られ、訓練を始めるや、役者たちの顔つきまでがまるで変わって見えてしまう(撮影順序は大菩薩峠でインして新倉、榛名山、迦葉山のロケセット、都内各地のロケ、セット撮影、逃亡シーンとあさま山荘内部撮影でアップとのことだが、都内でのロケと、自然を背景にした場合やロケセットでは明らかに演出も撮影も演技も違う)。こうなるとバジェットの規模など関係なくなり、第一部で感じた不満は姿を消し、更にそれまで散見できた過去の自作の引用も無くなり、ここからは全く観たことがない若松孝二の新境地が姿を現す。

 第二部で描かれるのは山岳ベースでの軍事訓練と粛清だ。既に『光の雨』、或いはそのヴァリエーションとして『鬼畜大宴会』が先行して作られているが(『地獄のエロス 肉欲獣』は未見)、夫々劇中劇、スプラッタホラーの体裁を取ることで正面から描くことを回避していた。それは、現在において連合赤軍を描く困難さに対して考え出された策だろうが、『突入せよ!「あさま山荘」事件』では、連合赤軍という記号すら希薄で、山小屋にコソ泥が逃げ込んだだけと言っても良い様な扱いだった。本作は、正面から描いたはじめての作品だが、若松孝二が、それもスポンサーの干渉なしに自主制作したとなれば、相当赤軍寄りの視点―嘗て田村孟長谷川和彦の為に書いたシナリオ『連合赤軍』がそうだったと言うが―“おまえ達は良く闘った。しかし、大きな誤りを犯した”という悔恨の情が顕著なのではないかと思えた。しかし、それは田村孟といった50年代の運動での挫折経験を60・70年代において作家の視点から見つめた者だからこその悔恨ではないかと思える。ノンポリヤクザ出身の若松には青春の挫折の投影を連合赤軍を描く際に行おうという意思はない。だから、本作が当初足立正生の脚本で企画されつつも若松が採用しなかったのは、前述したような悔恨に満ちたシナリオに上がっていたのではないかと想像するのだが。

 結果、画面に現れるのは、劇中劇でも、ピンクの枠から性を通して描くわけでも、ホラーにするでもない、徹底した即物的な描写だ。淡々と起こった出来事を見せていく。そこには過度な感情移入も、正当化も無い。起こった出来事をひたすら並べていく。第二部から映画がダイナミックに動き出したと言えるのは、この即物性に満ちた描写の力強さが凄いからで、第一部の、重信と永田が線路沿いを歩きながらの会話に代表される情感を描いた際の違和感の印象がまだ残っていただけに第二部の変貌は鮮烈で、画面そのものも、加速度的に全く異なる様相を呈してくる。

 撮影を担当したのは、若松とは『完全なる飼育 赤い殺意』『17歳の風景 少年は何を見たのか』に続いてのコンビとなる辻智彦で、今回もビデオ撮影だが、本作で遂に作品と監督とカメラマンがピッタリ一致したという印象を持った。ドキュメンタリー出身だが、『17歳の風景』でのドキュメントタッチを支えていたが、作品そのものの物語性の不足とドキュメント志向が成功しているとは言い難かった。それが本作では題材と方法論と辻智彦の技術が一致し、通常の撮影では出てこなかったであろう役者の表情と、その場の空気を記録することに成功している。例えば、ビデオ撮影の利点を活かし、小屋の中ではランプのみの光量で撮影していると思われる薄暗さの中で演技しているのを切り取っていくのを観ても、メイキングを観ないと分からないが、現場は何か凄いことになっていたのではないかと思えてしまう。そうでなければ、坂井真紀やARATAなどが妙な目立ちかたをしかねないが、全くそうはならず、永田洋子を演じる並木愛枝などは正にそうだが、観始めた頃は永田洋子を演じるのに持つだろうかと思ったが、どんどん存在感を表していく。それは他の役者でもそうで、大半が無名の役者なので不安に思っていたが、こんな表情できるのかと思うような、ハッとさせる瞬間が画面に収められて行く。これは若松が場を作り、空気を沸き立たせ、それを辻智彦が逃さず記録していくといった方法が取られたのだろうか、などと未だ観ぬメイキングへの期待を積もらせる。

 粛清の描写で印象的なのは、一人一人の粛清をどういう見せ方で―つまりは繰り返される自己批判からリンチへの移行をどう見せるのか―という時に、如何にもな狂気性の表現や、回想なりフラッシュバックに持っていかずに、一人が自己批判を求められると、次のカットではもう柱に縛られてアイスピックで刺される瞬間だったり、既に死に体に近い状態になっているカットへと飛ばし、思い入れたっぷりに一人一人の死を描かずに、ひたすら次々と粛清されていく様を描く。それが逆に恐ろしく、彼らが行った行為の愚かさが際立つ。

 ここに至って、赤軍シンパの若松の撮った連合赤軍映画という先入観は完全に消える。ここまで普遍性を持って描くとは思ってもいなかった。

  そして第三部は、いよいよあさま山荘での闘争となる。

 第二部ですっかり引き込まれつつも、あさま山荘に舞台が移ると、それでも不安になったのは、若松の別荘をあさま山荘に見立てて撮っただとか、モンケーンが出せないからショベルカーを使ったとか耳にしたからだ。肝心のクライマックスが低予算丸出しになるのではないか、『突入せよ!「あさま山荘」事件』でさえも、山荘の表は安手のCGに頼り、後ろをセットで作っていただけで、とてもあさま山荘を再現できていたとは思えなかったが、本作ではそれ以下の描写になるに違いないと思っていたら、これが全く条件の悪さを感じさせない、見事なまでにあさま山荘を画面に作り出していた。建物の全体像は見せずに(見せることができない)、逃げ込む兵士達に密着したハンディの映像で雪の中を走り、山荘に入り込む。そのシーンだけ突如そんな撮り方をすれば建物バレを気にしてのことと察してしまうが、一部、二部の積み重ねで、全く違和感なく観ることが出来る。山荘内に入ってからも、カメラはハンディでその場で起こっていく出来事をどんどん記録していく。外からの壮絶な攻撃と応戦が描き出されるが、ほぼ室内のみで見せているのに、音響の効果も相まって、迫力ある戦場がそこにあった。公開されたら話題になるであろう人質と兵士のやり取りや、ARATAの際立ちぶり―吉沢健みたいになっている―が凄いとか、観ていて圧倒され、あっという間に終局を迎える。ここだけの為にも公開されたらもう一度観たいと思わせる。

 ただ、警察側への射殺やパイプ爆弾に関しては不明瞭な描き方で、『幽閉者 テロリスト』の冒頭の空港のテロシーン同様、引っかかる。

  そして映画は再び第一部の流れに戻り、遂には歴史と映画と若松孝二が渾然一体と化す。『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』で最も印象的だったドバイ日航機ハイジャック闘争でのボーイング機の爆破シーンが流用され、画面の中で激しい爆発を見せる。そしてあさま山荘事件以降の連合赤軍日本赤軍の流れが紹介される。70年代、80年代、90年代を経て、2000年の重信房子逮捕、レバノンから日本赤軍メンバーの強制送還が示される。その中には足立正生の名も刻まれている。ここに至って、現実を僅かに先に歩む映画を作り続けてきた若松が、連合赤軍事件を描き、その中で『天使の恍惚』他の脚本を手がけた足立の名前が劇中で登場するという、現実とフィクションが融合してしまう瞬間を体験する。第一部での『天使の恍惚』への目配せと共に、映画と現実の距離が限りなく接近している。それを観ていて恐ろしいと感じたが、本当に驚愕すべきは、若松が集大成(第一部とエピローグ)と共に新たな領域(第二部・第三部)へと足を踏み込んだことだろう。

 『実録・連合赤軍』は、若松孝二の最高傑作の一本にして、集大成且つ新たな映画世界へ突入した作品だった。71歳で新たな代表作を撮り上げた若松孝二は、ひょっとすれば今後とんでもないことになるのではないか。何せ、次回作にと語っているのは、山口二矢を取り上げようとしているのだから、60年代以上に過激な映画作家となってしまったタガの外れた若松孝二に注目である。