『映画評論・入門!』番外編「映画評論事件史 淀川長治差別発言事件」

淀川長治差別発言事件

 

映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)

映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)

 

 

 5月9日に発売となる拙著『映画評論・入門!』(洋泉社・刊)は、映画評論家の発言によってスキャンダルが起きたり、映画評論を読んだことで読者が犯罪に手を染めるといった〈映画評論事件史〉的な一面からも、映画評論とは何かを感じられるような本にしたつもりなので、映画評論なんて興味ないという方にも手にとっていただければと思う。詳しくは読んでもらうとして、刊行に合わせて、本には入り切らなかった事件を書いておきたい。

 ここで取り上げる「淀川長治差別発言事件」は、ウィキペディアにも載っている有名な話だが、概要だけならネットでも分かる。しかし、その先に、〈映画評論〉の視点から見れば、もっと重要な事実が隠れている。この事件によって1本の映画評論を淀川が書かざるを得なくなった事情は、ネットや既存の本でも明らかにされているが、その映画評論に何が書かれているかまでは言及されてこなかった。差別発言のみが注目されてきたこの事件でスルーされた〈映画評論〉を軸に事件の全貌を見ていきたい。

 

 映画評論家・淀川長治は、ヨドガワ語とも言うべき独特の言葉を持っていた。『日曜洋画劇場』の解説でもよく口にした「見事な見事な」「怖い怖い」などの関西弁ではおなじみの同じフレーズを重ねることによる強調や、独自の濁音(黒澤明がクロザワ・アキラになる)など、「何ともしれん」妙に耳に残る語感を駆使することで、映画の話に引きこんでしまう。

 そんな淀川が映画に次いで好んだのが風呂である。アーノルド・シュワルツェネッガーにインタビューした際にも、一緒にお風呂へ入りましょうといったニュアンスの発言をしていたが、実際に海外の巨匠監督と風呂に入って親交を深めたことがあったように、いわば親愛の情を表す言葉として、この言葉は活用された。晩年は、こうした独特のヨドガワ語も一般的になっていたが、44年前、この無邪気な発言が問題のきっかけになった。

 1973年9月4日、『サンケイ新聞』夕刊の「こんにちは」というインタビュー欄に淀川が登場した。それ自体は珍しいものではない。生前の淀川は、折にふれて新聞、雑誌で幼い時からの映画人生を語ることが多かったからだ。

 「映画鑑賞が“生命活動”そのもの/ご馳走」という見出しが縱橫にレイアウトされたこの記事は、兼子昭一郎という記者によってルポ風にインタビューがまとめられている。つまり、インタビュアーの地の文に加えて淀川の発言が「……」で構成されたスタイルである。この形式では、インタビュアーの雑感が記事の印象を大きく左右する。

 本文を一部引用してみると、「気違いや虫には悲壮感が伴うものである。一つの職業に全身全霊を打ち込むからに違いない。(略)ところが淀川さんには、その悲壮感がない。こんなに仕事を楽しむ人も珍しい。」という文章なのだが、これだけでも、良くも悪くもこの記者の個性が反映されている記事になっていることは分かるだろう。

 淀川が語った内容は、幼い頃から映画を観てきたという、これまでもよく語られてきたものだが、問題になったのは次の件だ。

  彼の体質は、映画の体質と一致する。

「映画のどこがいいって、あの庶民性が一番ですねえ。ソバ屋も大学の先生も同じように泣いたり笑ったりするんですからねえ。庶民性がわたしにぴったりなのねえ。はい、芸術性の高い映画はあまり好きになれませんよお」

 こどものころ、家の近くに貧乏人の部落があった。学校の行き帰りの途中に位置していた。両親はそこを通らずにすむように、電車の定期を買って与えたが、一度もそれを使わなかった。それだけではない。その特殊な部落にある銭湯に入ったこともあった。

「そのときわたし、この貧しい人たちと液体で結ばれたと思ったのねえ。エリートってだめですねえ」

 

夕刊『サンケイ新聞』(昭和48年9月4日)

  この後は、映画の仕事に就く話へ移るだけに、いっそう引用部分が目立つが、明らかに被差別部落を指した内容かつ、該当地区の銭湯に入ったことが特筆すべきことのように書かれているのは、通常の感覚で読めば明らかに差別的な記事だろう。

 もっとも、淀川の発言部分だけを取り出せば、自分の親には差別意識があったものの自分にはなく、一緒に銭湯に入ることも平気だったという発言に取れる。「貧しい人たちと液体で結ばれた」はギョッとするような表現だが、淀川にとって一緒に風呂に入ることは、あらゆる民族を越えて結びつく最良の手段という前提を知っていれば、他意がないことは分かる。

 この記事が出てから1か月が過ぎた1973年11月5日、部落解放同盟の中央機関紙である『解放新聞』が、「サンケイ新聞 あいつぐ差別」というタイトル記事を掲載した。「淀川氏(映画評論)が対談で部落の錢湯にはいったと」という見出しを添え、前掲『サンケイ』の記事を引用した上で、次の様に指摘した。

 これは両親の部落民に対する差別行為をそのまま肯定する差別発言である。さらに淀川氏が部落のフロに入ったことをことさらに書き立てることによって、無意識のうちに自分がすぐれた立場にあること、つまり部落民を差別していることをバクロしている。「部落民といっしょに食事した」といって、部落民を差別していないことを証明しようとして、ぎゃくに差別性を示すのと同じく、淀川氏のこの発言は部落差別そのものである。

 

『解放新聞』(1973年11月5日)

  そして、記事の文末には、これ以外でもサンケイ新聞が差別発言を多く掲載していることを踏まえ、「一〇月三日、大阪府連人権対策部はサンケイ新聞社に対してつよく抗議、一一月八日に糾弾集会をもつことをきめた。」と記されている。糾弾集会とは、部落解放同盟が差別事件と認識した事案について、差別発言を行なった者や関係者を呼び、事実関係を確認し、問題認識を糺すものである。

 11月8日に開かれた第1回の糾弾会に淀川の姿はなかった。サンケイ新聞側が淀川に連絡しなかったからだが、これが問題視され、12月14日に大阪市東区の府農林会館で開かれた第2回の糾弾会には淀川も出席した。会場には、府連各支部から約100人、『サンケイ』側の顔ぶれは、淀川の他に大阪の編集局長、東京・大阪両本社の編集局幹部らである。

 以下、『解放新聞』(1973年12月31日)の記事をもとに当日の様子を追ってみると、前回の欠席について淀川は「サンケイからなんの連絡もなかったので、出席のしようがなかった」と釈明した。そして差別発言について、「私は神戸出身で、差別の問題はよくわかっているつもりだった」「だから私は、あの発言は善意のつもりだったが、十五分間の対談を数十行にまとめたので真意が充分に伝わらなかった」と反省の弁を述べている。

 『解放新聞』では、これらの発言を「差別性をごまかそうとする発言がつづいた。」としている。次に、淀川が自らの言動について考えを述べた。「私は、人間はみんな平等だと常々から考え行動してきた」。

 この発言に対し、府連側は「ヒューマニズムの観点から部落問題をみるから、こんどのような同情、融和の思想がでてくるのだ。あなたのヒューマニズムは単なる“あわれみ”だけであって、なぜ、差別があるのかを根本から追求していない。まさにエセ・ヒューマニズムだ」と糾弾した。

 なお、この記事には「エセ ヒューマニズム追求/淀川氏自己批判サンケイ新聞社差別発言で」という見出しがつけられている。

 最後に次の糾弾会で「①この差別事件の分析と責任と今後の決意を表明せよ②『狭山の黒い雨』を部落問題の観点から批評せよ③これまでの一連の差別評論を明らかにし、分析せよ」との要求が出され、淀川も同意した。

 『狭山の黒い雨』(73年)とは部落解放同盟が製作した劇映画で、1963年に埼玉県狭山市で起きた女子高生への強盗強姦殺人事件——いわゆる狭山事件の映画化である。被差別部落出身の男が犯人として捕らえられ、一審では罪を認めて死刑判決となったものの、その後冤罪を主張して無期懲役が確定した。この映画が製作された当時は一審判決後の控訴期間中である。

 そして、1974年3月4日付の『解放新聞』には、同意通り、淀川による『狭山の黒い雨』批評が掲載されている。「これはただの映画ではない。云わねばならぬ人間の生活の差別の大きな問題を提示した作品である。」から始まる評は、〈部落問題の観点から批評せよ〉という要求に沿って、「犯人を勝手に作りあげるという許るされぬ不正への怒りの奥にもっと重大な問題が暗黒の形で横たわったショック」「この地区なら罠にかかった男にも世間は文句は云うまいというその底知れぬ残酷非道」「この地区のものさえが無力に近い弱さで作られた犯人を見送ってしまったその痛ましさ弱さがあふれていた」「映画が終わったが実は映画が終ったのではないことを観客はこのあと身をしみて感じるにちがいない。現に青春を失って十年、石川一雄氏はまず無実の身で捕われているその事実。」など、被害者と差別される側からの視点に寄り添って記されている。 

 映画としてはどうなのかという点にも触れている。「この映画はこのいまわしい瞬間を記録映画的なタッチで見せた。劇的に押しつけなかった。この演出この脚色が巧い。いわゆる『大人の目』でじっくりと見つめさす映画のたたづまいを持った。」「映画は常に第三者の冷静な目を意識して、この悲しい事実を、劇的には化粧していない。」「叫ばず劇的に泣かせず、新人須藤久監督のこの力作は、映画がここに生きてその怒りをこめたその一念を静かに語り描いたことで立派であった」。

 この批評の掲載をもって、淀川長治の差別発言事件は収束し、狭山事件も1974年10月に東京高等裁判所で被告に無期懲役判決が出ている。

 一方、後にこうした糾弾への批判も出てきた。『差別用語』(汐文社)では、「ここまでくると、淀川氏の知名度を計算に入れ、弱みにつけ込んだ“おどし”といわれてもしかたがない」と記され、『表現の自由と部落問題』(成沢栄寿 編著/部落問題研究所)でも「七十年余り前、全国水平社設立前に部落差別を不合理だと見た少年の心は一顧だにされず、エセ・ヒューマニズムだと追求され、『解同』理論に立つ自己批判を迫られるとともに、『解同』制作映画を批評することを約束させられた。(略)この高名な映画評論家の個性を無視し、自分たちの理論・思想に追随・同調を求めたのである。」と批判した。

 この問題の根本には、インタビューをまとめた記者の責任が大きいはずで、その記者の差別意識の方が深刻だと感じさせるだけに、淀川の責任だけがクローズアップされるのは酷だろう。ましてや『狭山の黒い雨』を批評の方向性も指定して書くように迫るのは、本質から外れている。しかし、淀川の知名度を利用したとばかりも言えない。もし、本当にそうなら、『サンケイ』なり大手のメディアで『狭山の黒い雨』を取り上げることを求めても、淀川ほどの映画評論家なら出来たはずだ。この批評は、単行本にも収録されておらず、淀川自身この事件のことには終生、触れることはなかった。

 それでも、晩年の淀川長治には〈ヒューマニズム〉を感じる瞬間が何度かあった。『シンドラーのリスト』(93年)について、「いいとこだけを見せてるの。例えば、シンドラーがこの戦争でどれだけ儲けたか。それから、ほかにもユダヤ人はたくさんいたのに、自分の工場で働く人だけ助け出す、そういうのが僕は耐えられない。」(『おしゃべりな映画館③』淀川長治・杉浦孝昭 著/マドラ出版)と発言した時など、シンドラーは現実的に自分が出来る範囲のことをやったのだから、それでいいじゃないかと思っていた筆者など、ずいぶん厳しい発言に思えたが、淀川長治にとってのヒューマニズムを示す瞬間でもあった。これは〈エセ・ヒューマニズム〉だろうか。

 『狭山の黒い雨』は現在では観る機会も限られており、筆者自身も未見なので、淀川の批評を読んで、いっそう観たいと思うようになった。映画自体にも興味はあるのだが、淀川がこの作品を、映画は映画として批評を書いたのか、それとも、指示されるままに書いたのか、映画を観ない限り判断がつかないからだ。

 しかし、かつて淀川の新聞での発言に抗議があり、糾弾の結果、淀川が批評を書かされたということのみが、この出来事をまとめた書籍や、それをもとにしたインターネット上のテキストでは流布している。差別事件の一例として見れば事実関係に間違いはないが、〈映画と批評〉という視点では、『狭山の黒い雨』を観て淀川長治による批評を読むという最も基本的な2つの機会が失われたままでいることは残念でならない。

 

【参考】

■映画評『狭山の黒い雨』

胸を突く描き方              

映画評論家 淀川長治

 

 これはただの映画ではない。云わねばならぬ人間の生活の差別の大きな問題を提示した作品である。

 犯人を勝手に作りあげるという許るされぬ不正への怒りの奥にもっと重大な問題が暗黒の形で横たわったショック。

 警察が犯人を捕うべくして逃したその手落ちにうろたえたあまり、これを埋めることのための犯人のでっち上げ。この映画はこのいまわしい瞬間を記録映画的なタッチで見せた。劇的に押しつけなかった。この演出この脚色が巧い。いわゆる「大人の目」でじっくりと見つめさす映画のたたづまいを持った。

 急所は犯人を作り上げるための罠とその網の張り場所である。この地区なら罠にかかった男にも世間は文句は云うまいというその底知れぬ残酷非道が、この映画ではあるがままの一瞬の記録映画感覚で描かれてゆく。それゆえにこそ胸を突く。

 映画は常に第三者の冷静な目を意識して、この悲しい事実を、劇的には化粧していない。脚色の見どころはこの作られた犯人に世間が無関心であったことと、この地区のものさえが無力に近い弱さで作られた犯人を見送ってしまったその痛ましさ弱さがあふれていたこと。それも実はこの映画を見終わったあとでそれがはねかえってくる描き方。

 しかしその伏せられた怒りが、やがて田中春男扮するこの地区の中年男の一見ボソリとした顔つきの中に疑問がついにこみ上げてこの地区のある場所で訴える。初めは彼も黙していた、それがたまりかねて怒りとなってきたときの、この中年男のその目のきびしさ。ここをその目のきびしさで見せた演出が効く。

 忘れにも罠にかかった青年。これを演じた桜井弘史はそのマスクの繊細さが気になったが彼の力演がその心配を吹き消して、人の良すぎる善良の哀れが、しかも喜劇的な皮肉さを見せてあふれ出た。その人の良さを巧みに利用する最も悪質な罠。しかもその調べ室でお茶が出る、するとそれだけで安心感抱いて調子づいてくるこの青年、ただ一杯のお茶で。ここにこの青年の長い間のいまわしい差別の中での育ちが感覚的に描かれて、画面のおかしさが怒りとなって盛り上る。

 映画が終わったが実は映画が終ったのではないことを観客はこのあと身をしみて感じるにちがいない。現に青春を失って十年、石川一雄氏はまず無実の身で捕われているその事実。叫ばず劇的に泣かせず、新人須藤久監督のこの力作は、映画がここに生きてその怒りをこめたその一念を静かに語り描いたことで立派であった。

 

『解放新聞』(1974年3月4日)

 

『シン・ゴジラ』を読み解く前に―庵野秀明旧作より

 

 

『GAMERA1999』

 『ガメラ3 邪神覚醒』(99)公開前にビデオ発売されたメイキングだが、総監督の庵野秀明はこの時期、次なる展開としてドキュメンタリーか特撮を手掛けると目されており、その前哨戦としても注目を集めた。『ゆきゆきて、神軍』(87)、『由美香』(97)などのドキュメンタリーに刺激された庵野は、『ラブ&ポップ』(98)のフェイクドキュメンタリー構想が頓挫した後も、カンパニー松尾平野勝之らAV監督たちと親交を重ね、撮影にも参加。本作冒頭の飲み会シーンを松尾が撮影し、庵野、平野、林由美香らが顔を揃えているのも、その縁である。

 「ドキュメントものでお客さんが欲しがるものは、脚色されたイリュージョンと赤裸々なスキャンダル(笑)」(『ロマンアルバムアニメージュスペシャル/GaZo画像Vo.2』)と庵野は製作時に語ったが、AVドキュメンタリーの様な被写体の内面をさらけ出す作品を志向していたことが窺える。では、この作品の〈イリュージョン〉とは何か?もちろん、家庭用デジタルビデオカメラの機動力を活かして撮影された特撮現場だろう。ミニチュア、爆破をはじめ、樋口真嗣特技監督とスタッフの仕事ぶりが超至近距離で捉えられている。一方、〈スキャンダル〉は撮影現場でそう大きな事件や対立が起きないので撮れない。結果として「事実を基に構成されていますが、諸般の事情により、22%程捏造して有ります。」という断り書きを入れて、庵野側の主観に加えて恣意的な編集を施すことで、スキャンダルを〈捏造〉した。このことが賛否を集めたが、それもまた計算のうちだろう(それとは別に脚本家・監督・特技監督のチームワークが前2作に比べてズレが生じていたことが今では公言されている)。

 当初の庵野の意図は「日本特撮というものを総括」「なんでまだしがみついているのかっていうのを赤裸々に描こう」(『マジック・ランチャー』庵野秀明岩井俊二 著/デジタルハリウッド出版局)というものだったが、本作のために撮影されながら未使用に終わった川崎郷太、岩井俊二との対談で庵野が語るゴジラが興味深いので幾つか引用しておこう。「日本でゴジラを作っている人って(略)初代『ゴジラ』の呪縛から逃れてない」「大砲を撃っても死なない神様みたいな存在」「怖く感じないのは、生き物として何か食べてる感じがしないところ」「結局、こういう巨大な怪獣がいたらどうなるのかというシュミレーションにしかならない」等々(『GaZo画像Vo.2』)。そして本作のラストにはこんな字幕が出る。「だが、虚構と現実、そして夢は、続く。」――17年後、『GAMERA1999』で検証した夢の続きの具体化が「現実対虚構。」という惹句と共に姿を現した『シン・ゴジラ』である。

 

新世紀エヴァンゲリオン

 言わずと知れた1995年10月〜96年3月に放送されたTVアニメであり、後に社会現象にまで広がった庵野秀明の代表作。『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』に続く90年代を代表するアニメとなり、現在まで新たな劇場版が製作されているが、近未来を舞台に14歳の少年が人型兵器エヴァンゲリオンに乗って使徒と戦う物語は、庵野のSF・アニメ・特撮などの映像的記憶と嗜好が全て投入されている。それゆえに『シン・ゴジラ』を観た最初の印象は、まさに〈実写エヴァ〉だった。具体的に比較すると、冒頭の羽田沖で水蒸気が噴出して巨大生物の一部が出現するのは『第八話/アスカ来日』の水中から登場する使徒ガギエルを思わせるが、それに続く首相官邸地下の危機管理対策室から各大臣が大会議室へ集まる慌ただしい動きは、使徒出現を前にした特務機関NERV本部のようだ。この席で巨大生物に対して「捕獲か駆除か」が協議され、駆除が決定する。巨大生物は多摩川から呑川へと侵入するが、大臣たちは「自重で上陸はありえない」と楽観視する中、蒲田に上陸。建物家屋を次々に乗り越えて倒壊させながら巨大生物は直進する。一見、怪獣映画ではおなじみの出現→上陸というパターンだが、使徒侵攻を実写化したような緊迫感とスケールは、従来の怪獣映画とは一線を画す。

 『エヴァ』は、その後の怪獣映画にも影響を与えた――といったところで、樋口真嗣エヴァで脚本・絵コンテなどに参加しつつ、平成ガメラシリーズで特技監督を務めていたのだから、似てくるのは当然である。『ガメラ2 レギオン襲来』(96)の足利決戦の構図、戦闘の描写などはまさに使徒エヴァのそれだったし、『ガメラ3 邪神覚醒』(99)では、イリスの造形ばかりか、綾波レイ風の名を持つ綾奈や、山崎千里がレイに酷似した雰囲気と髪型で登場したり、ラストに至っては『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(97)と酷似。ガメラに限らず、当時は作り手側がエヴァに侵食され気味だったが、その影響はゴジラにも及んでいる。『ゴジラ×メカゴジラ』(02)は初代ゴジラの骨格をもとにした対ゴジラ用兵器・機龍をヒロインが操縦するという、メカゴジラエヴァを思わせる設定である。暴走による事故、関東一円の電力を機龍に集めて戦うという『第六話/決戦、第3新東京市』のヤシマ作戦そのままの描写もあり、エヴァ風の怪獣映画は『パシフィック・リム』(13)も含め、既に出尽くしたと言ってもいい。

 その意味で『シン・ゴジラ』が、巨大生物の東京襲来をリアルに描き、政府の混迷と、戦闘に備える防衛庁の幕僚たちのやり取りを緻密に描くことに徹したのは正しい選択だろう。『ゴジラ×メカゴジラ』などが表面的にマネをするだけでは再現しきれなかった「エヴァ初号機、活動を停止」「目標は、完全に沈黙しました」「作戦開始時刻は明朝午前零時。以後、本作戦をヤシマ作戦と呼称します」「現時刻をもって作戦を終了します。第一種警戒態勢へ移行」といった堂に入った用語をゴジラでも次々と小気味良く繰り出すことができるのは庵野しかいない。もちろん、緊迫感のあるシーンばかりではなく、特米大使として来日するカヨコ・アン・パタースン石原さとみ)に惣流・アスカ・ラングレー葛城ミサトっぽさが出ていたり、『第四話/雨、逃げ出した後』の駅前でのミサトとシンジを思わせるやり取りが、石原と長谷川博己によってモノレールの駅前で演じられるあたりはニヤリとさせられる。

 何故、子どもがロボットに乗って戦わねばならないのかというロボットアニメの根源に挑んだように、ゴジラから失われて久しい恐怖と生物感を取り戻すことに挑んだのが『シン・ゴジラ』である。「ゴジラ、まさに神の化身ね」という劇中の台詞からも、ゴジラとは何か?その畏怖、恐怖をいかに取り戻すか、そのために何を描くべきかの一つの答えが出されている。

 

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『ロッパの水戸黄門』と『古川ロッパ昭和日記』(1)

『ロッパの水戸黄門』の発見

 このところ、古川ロッパを目にする機会が多い。去年出た『哀しすぎるぞ、ロッパ 古川緑波日記と消えた昭和』(山本一生・講談社)という評伝に始まり、今年に入ってから『ロッパ食談 完全版』『ロッパ随筆 苦笑風呂』(河出文庫)が新たに書店に並ぶようになったのは、なんとも奇特というべきか。はたして今、古川ロッパが説明なしに受け入れられるのか、と思っていたら、特集本『古川ロッパ 食べた、書いた、笑わせた! 昭和を日記にした喜劇王』(河出書房新社)が出た。

 先日もCSの衛星劇場で未見だった『新馬鹿時代 前篇』が放送されたので、つい見入ってしまった。警官(ロッパ)と闇屋(エノケン)の追っかけが延々続く昭和22年に東宝が製作した前後篇の大作である。驚いたのは、砧の東宝撮影所に作られた高架の上を電車までが走る巨大な闇市のセットだ。これを見たいがために、この映画が長らく気になっていた。というのも、〈せっかくこんな巨大なセットを組んだのだからモッタイナイ、若い奴がついでにもう1本何か考えろ〉というわけで、若手監督の黒澤明が、新人三船敏郎と組んで、このセットを再利用して撮られたのが『酔いどれ天使』なのである。

 映画とは皮肉なもので、セットを流用した『酔いどれ天使』は今でも名画座Blu-rayで観ることができるが、『新馬鹿時代』は高価なビデオが通販で一時期発売されただけで、先日のCSの放送がTV初放送だという。映画史的にもエノケンとロッパの共演作という以上の評価は見られず、小林信彦も「〈追っかけ〉の必然性はあるものの、気分的にリアルすぎて、私は前篇だけで投げた。」(『キネマ旬報 1974年7月上旬号 架空シネマテーク・黒澤だけしか頭になかった』)と、にべもない。

 後世に残らなかった映画について調べるには、当時の新聞、雑誌記事にあたるところから始まるが、古川ロッパの出演作となると、まずは『古川ロッパ昭和日記』(晶文社)を読むところから始まる。これは80年代後半に出版され、2007年には新装版として再発売された戦前篇・戦中篇・戦後篇・晩年篇からなる古川ロッパの人生が凝縮された日記である。『新馬鹿時代』について日記の戦後篇を開けば、昭和22年6月26日にクランクイン、8月23日にアップしたことがたちまち分かり、前後篇になった過程、撮影中のエピソードなどが細かく記されており、第一級の映画資料として活用できる。

 そのことを改めて感じたのは、2月26日に早稲田演劇博物館の主催で行われた「『ロッパの水戸黄門』とテレビドラマの黎明」という催しで『ロッパの水戸黄門』(1960-61)を観たからである。ロッパ最晩年の主演テレビドラマシリーズで、2011年にフィルムが発見された。

 発見にあたった大阪芸術大学映像学科教授の太田米男氏の説明によると、2011年、本作を製作した新星映画(山本薩夫深作欣二らの作品を作った同名会社とは別組織)の元社長(故人)の京都の自宅の押入れに16mmフィルムが所蔵されており、遺族より連絡を受けて調査にあたったところ、『ロッパの水戸黄門』全話の原盤(ネガ)と上映プリントと判明。既に酸化が始まって悪臭を放っており、原盤は保存状態が悪く、上映プリントは良好な状態だったという。

 次に本作を放送した毎日放送(関西のみの放送だったようだ)の権利部に連絡を取ったところ、1960年11月4日〜1961年1月21日にかけて13話が放送されたことを確認(ロッパの死は61年1月16日)。外部製作の買い取りということもあり、著作権毎日放送ではなく、新星映画に有ることが判明したことから権利を相続した遺族側が動き始め、太田氏は身を引いたという。毎日放送は上映プリントをSDテレシネ(=標準画質)した後、フィルムを遺族に返却してきたので、再び太田氏が連絡を受け、寄贈の仲介の労を取り、2014年2月に早稲田演劇博物館に本作の共同復元を提案。

 なぜフィルムセンターではなく演博なのかといえば、フィルムセンターではテレビ作品は低く見られる可能性があり、演博なら保存と見る機会が両立するだろうという判断があったようだ。そして同年10月「美術館・歴史博物館重点分野推進支援事業」に内定を得て、IMAGICAウェストに上映プリントのHDテレシネ(=高精細画質)を発注(劣化の著しい4・5・8話はSDテレシネ)し、明けて2015年1月に全13回分のHDCAM/DVDが納品され、今後、演博で各話が上映される予定だという。

 さて、こうした説明を受けて、いよいよ『ロッパの水戸黄門』が上映されることになった。

(この稿続く)

『愛の渦』☆☆☆★

監督/三浦大輔  脚本/三浦大輔  出演/池松壮亮 門脇麦

2014年 日本 ビスタ DCP 123分

 演劇空間を映画空間に置き換えるために

 劇団ポツドールを主催する三浦大輔の第50回岸田國士戯曲賞受賞作『愛の渦』は、ネットを見てマンションの一室に集まった年も境遇も違う男女8人が深夜0時から朝の5時まで乱交パーティが繰り広げられるという内容で、これまで2度上演されている。

  大根仁が映画監督デビュー作に本作を熱望し、実際に三浦と映画用の脚本執筆に入っていたものの、『モテキ』以前で映画実績が無いために頓挫したこともあったようだが(昨年、同じく三浦の『恋の渦』を映画化)、今回は三浦の手で映画化されている。大根版と、どれほどの違いがあるのかは不明だが、舞台版を観ていないので戯曲を読んでみると、かなり忠実に映画化されていることが分かる。設定、展開、登場するキャラクターもそのままと言って良い。最も大きな変更は、群像劇だったものを映画は池松壮亮門脇麦の2人を主役としてクローズアップしたことである。舞台版はマンションの一室のみで展開するが、映画は池松がATMからなけなしの金を卸すところから始まり、朝になって全てが終わって外に出てからも、もう一波乱待っている。映画のための付け足し部分が蛇足になっておらず、実にバランスよく配置されているのは三浦が監督したからだろう。

  パニック映画に見られるような極限状態で人間が剥き出しになる瞬間を映画は好んで描くが、もはや空も海も高層ビルも使い果たしたかのように思える。しかし、それは人間の生理が排除された、いわばキレイ事の極限状態だ。『狂った野獣』のバスジャックされた人質の子供のようにオシッコしたいと言い出して不憫に思った犯人の川谷拓三が窓から放尿させるようなシーンはなく、コトが終わるまで誰も便意を催さない。

  それに対抗する極限状態を限られた予算で描くには、間違っても自主映画監督が撮るようなエレベーターの中に閉じこめられる話ではない。朝まで退出することができない密室の乱交パーティという人工的極限状態を設定した三浦は、必然的に裸になり、しかも性行為を全員が積極的に行おうとするからこそ剥き出しになる人間性を描こうとする。もちろん、その中には排泄行為も含まれる(劇中には何度かトイレを使用するシーンがあり、トイレ後にシャワーで洗浄しない者は咎められる)。

  最初にソファーに女子大生、保育士、OLが座り、カウンターの椅子に大量のピアスをつけた女、男たちは床に座っている。この段階では男たちの地位は低く、女性上位の構図になっている。ごく普通の外見の保育士とOLは直ぐに打ち解けて会話を始め、それにすがるように、茶髪のフリーターは気軽に女たちに声をかけ、サラリーマンもそれに続く。このようにしてカーストが形成され、その場における身分差が明らかになっていく。おずおずとしたニートの男や女子大生は必然的に結びつき、工場に勤務する太った童貞男はピアスの女に声をかけ……といった具合に、順当に分相応な関係が生まれていく。やがてカーストが一部で変転し、ソファという上位カーストのみが座ることが可能な場に男の何人かが座り、女の中から床に引きずり降ろされる者が出てくる。『恋の渦』でも描かれたこういった三浦が得意とする構図は、図式的になりすぎると嫌味になるが、バカ話とスケベ話で埋められた如何にも凡庸な会話で展開するのが面白い。

  しかし、会話や展開は流石に名作戯曲と思わせるものの、前半の他人同士が徐々に探りあいながら、自分のしかるべきカーストを探るグダグダした時間が、舞台では客席と共有されたリアルな時間になるのだろうが、映画ではそのまま映画が停滞しているようにしかならない。演劇空間を映画空間にするために、映画の冒頭と最後に外のシーンを入れたり、部屋の美術や、撮影で様々な工夫が凝らしてあるものの、本質的な問題はそこではない。例えば「無言の間」を、リアルな「無言の間」ではなく、映画の時間で「無言の間」を見せないと、観客は退屈してしまう。同じ三浦の作でも映画『恋の渦』が優れていたのは、徹底して映像の言語に戯曲を組み替えることに徹していたからだろう。複数のカメラを用いて部屋の奥行き、人物の配置、移動も映像効果が計算され尽くしており、逆にプロの俳優を起用して、美術も丹念に揃えられた、ちゃんとした映画として撮られた『愛の渦』に映画としての不自由さを感じてしまう。

 もうひとつの問題としてエロの希薄さがある。もちろんそれは、裸やセックス描写の問題ではない。ハードコアポルノとして撮るのもひとつの方法だろうし、R-18に指定された映画としては大人しいものじゃないかという意見もあろうが、エロいことしか考えてない連中の映画なのに、画面からはエロが滲み出てこない。裸のない『恋の渦』には、そこかしこにエロが漂っていたが、本作は映画としての体裁を重視する過程でエロが漂白されてしまったようだ。演劇空間を映画空間に置き換えるための作業が、『愛の渦』をかしこまった映画にしてしまったのではないか。強固に作られた原作なのだから、映画を壊しにかかっても充分持つだけの耐久性を持っているはずなのだが。

  ただ、終盤の朝の描写には惹かれるものがあった。『四畳半襖の裏張り』の布団で交わる宮下順子らの後ろの障子が闇から陽の光へと移り変わる朝の描写以来の、というのは明らかに大げさだが、セックスと朝を映画で描いた中でも忘れがたいシーンになっている。

『小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム 名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台』

老いたガイキチもやはりガイキチを知る

  生きていると、いろんなことが起きる。まさか、81歳の小林信彦と、72歳の萩本欽一が、喜劇人について語った本が2014年に読めるとは!

   『日本の喜劇人』(新潮文庫)の著者である小林信彦には、横山やすし植木等藤山寛美伊東四朗渥美清らの評伝もある。リアルタイムで見て活字で評価してきたものを、現在の目で再構成できるのだから怖いものがない。しかもテレビ番組の構成作家、原作者といった立場で彼らの内側も垣間見ているので、小林信彦によって書かれる喜劇人の本は、めっぽう面白い。優れた観客であり、批評家であり、作り手でもあったことで、内と外を同時に俯瞰することが可能になるのだ。

 時間が許せば、谷啓青島幸男萩本欽一の評伝も書かれたのではないかと想像したが、それらのエッセンスは『テレビの黄金時代』(文春文庫)に凝縮されている。

  短いコラムなどを別にして、小林信彦が喜劇人の本を出すことは、もう無いと思っていた。2008年に新潮社から箱入りの『定本 日本の喜劇人』という大冊が出版されたが、ここには『日本の喜劇人』『日本の喜劇人2(『植木等藤山寛美喜劇人とその時代』→『喜劇人に花束を』改題)』『おかしな男 渥美清』(喜劇人篇)、『笑学百科』『天才伝説 横山やすし』(エンタテイナー篇)が収録されており、まさに小林信彦の喜劇論を集大成にした一冊であった。

  実際、その後はエンターテインメント系のコラムで健筆をふるう一方で、『日本橋バビロン』『流される』(文春文庫)という私小説と随筆の中間にあるような世界を展開させており、老年期に相応しい仕事を見せている。それだけに、唐突にも思わせるタイミングで萩本欽一との対談本が発売されたのには驚かざるをえなかった。その謎は、巻末のあとがきの冒頭に小林が記した一文で明かされる。

 「突然、集英社の人から電話が入って、萩本欽一さんが私から話を聞きたい、そして本をつくりたい、という希望とのことだった。」

  この手があったかと思った。本書は萩本の企画であり、萩本が聞き手なのである。そうでなければ、喜劇人に対して一見識があり、気難しいと言われる小林が、そう簡単にこんな本を出すわけがないでしょうが。

   芸人とは距離を置いたつきあいをしてきた小林にとって、萩本は例外的な存在である。『24時間テレビ』でマラソンをすると聞けばテレビで応援し、長野五輪で欽ちゃんが司会をすると聞けば五輪嫌いやテレビ嫌いを覆して見る。

 「ぼくは萩本欽一が心配なので見たのだ。」「欽ちゃんがみっともなくなると困るな、というのが正直な想いだったから」(『人生は五十一から』文春文庫)

  もっとも、60年代後半は別にして、のべつ会っていたわけでもなく、時折、顔を合わせていたに過ぎない。

  今回の対談の布石となったのは、5年前に元日本テレビのプロデューサー井原高忠の傘寿のパーティで再会したことだろう。この時の様子は『欽ちゃん!』(『森繁さんの長い影』文春文庫)に記されているが、「三十年ぶりぐらい」に会った欽ちゃんとの対話が再現されている。小林らしいのは、昔話をするのではなく、コント55号全盛期のアーカイヴ映像で欽ちゃんのトリビュート番組が作れないかと、かねての持論を本人にぶつけるところである。

  小林と萩本の関係については、「三十年」ぐらい前に小林自身が記したフレーズが最も的を射ていると思われる。曰く「ガイキチはガイキチを知る」。

  ガイキチとは、キチガイの意である。1977年末、小林は萩本と5年半ぶりに再会した。2人で密談をするうちに、「欽ちゃんは燃え上がって、来年は勉強をするために、日本テレビの番組をオリる、と、突然、言い始めた。」。ガイキチ小林との会話がガイキチ欽ちゃんに刃物を持たせたわけである。その状態を小林は「ガイキチはガイキチを知る」と言ったわけだ。

  それから35年後に行われた本書の対談は、老いたガイキチもやはりガイキチを知る――とでも言いたくなる内容になっている。81歳になっても、小林は抜群の記憶力と、当時の日記、資料も駆使して立体的に構成する作家としての視点を持って対談に挑んでいるだけに、必然的に萩本も「燃え上が」る。

  ただ、正直言って、無類に面白い対談であることは間違いないが、小林の著作をつぶさに読んでいれば、大半は既に書かれた話だけに、内容だけを取り出せば刺激に乏しいのはやむを得ない。ここで威力を発揮するのが聞き手の萩本だ。ある時期からは日本の喜劇人たちの目撃者となり、同業者となり、やがて突出した存在になる。既に書かれていた話でも、萩本がそれを受け、更に小林が返す言葉には、これまでに語られたことがない零れ落ちたエピソードや印象が含まれることになる。そのなかでも、特に印象深いのは、石田瑛二という今では忘れ去られた浅草芸人について盛り上がるくだりと、三木のり平八波むと志が演じた『源氏店』のボケとツッコミを萩本が再現して小林が大笑いするくだりだ。後者は誌面で読んでもたいして面白いわけではないが、芸人に対して芸人が面白かったと伝えるためには、こうするしかないのだということが、喜んでいる小林の反応からも伝わってくる。

  本書で語られる芸人の大半は過去の人物だが、2人とも懐古譚をする気はさらさらない。本書は若者に向けて語られた『日本の喜劇人〈対談篇〉』であり、『日本の喜劇人〈普及篇〉』である。その若々しい視点が本書の最大の魅力であり、愛すべきガイキチたちの笑いへのこだわりを、読者はただひたすら愉しむのみである。

『小さいおうち』☆☆☆★

監督/山田洋次  脚本/山田洋次 平松恵美子  出演/松たか子 黒木華 倍賞千恵子

2014年 日本 「小さいおうち」製作委員会 ビスタ 136分

 隠された性と、隠されなかった現代への暗喩 

 山田洋次は日本で最も恵まれた映画監督である。82歳を迎えて、2年に1本のペースで、潤沢に予算をかけて撮りたい映画を作り続けているのだから。松竹に同期入社した大島渚は既に亡く、旧制高校同期の森崎東は資金難の中で新作をようやく完成させた中で、前作『東京家族』(13年)から、わずか1年で新作が公開されるのだから、山田洋次の恵まれた環境と、その頑健さを羨む監督は多いだろう。

 だが、映画監督は高齢になると、当然のことにもかかわらず作品のパワーが落ちたと揶揄される。スポーツ選手のように、全盛期の記憶で人々が称賛してくれはしない。晩年の黒澤明に『七人の侍』(54年)の頃のような力がないと非難めいた言説が投げつけられる世界だ。定期的に新作を作ることができるということの緊張感もまた大きいはずだ。近年の『おとうと』(10年)『東京家族』(13年)のリメイク路線は、オリジナル企画を立ち上げる気力が薄らいだか、その時間を惜しんでの選択だったか、あるいは作らねばならない映画に対する窮余の一策だったのか。作りたい映画が見当たらないからリメイクに走ったとは思いたくないが。それにしても、山田洋次ともあろう監督が、資質の異なる市川崑小津安二郎をリメイクしても仕方あるまい。それに、山田らしさを感じさせるキャラクターたち――『おとうと』で姪の結婚式を台無しにしてしまう愚弟の笑福亭鶴瓶、『東京家族』でオリジナルから設定を変更した妻夫木聡蒼井優の結婚間近のカップル――が、前者は鶴瓶が熱演すればするほど渥美清の不在が痛々しく迫り、後者は山田映画の真骨頂とも言うべき設定が、『東京物語』(53年)という枷で不自由さを囲っていることにもどかしさを感じるばかりだった。それゆえに、直木賞受賞の同名原作を映画化した『小さいおうち』は、内容的にもこれまでにない新境地を感じさせるだけに、期待を持って観た。

 冒頭の火葬場の煙突を捉えたショットに前作からの小津の連続性を思い出させるものの、間もなくそれがこれから語られようとする倍賞千恵子が演じるタキの死であることが理解される。主人が不在となったアパートの整理を親族たちが行うが、彼らにとって彼女は伯母であり、最後まで一人暮らしを続けた彼女に懐いて身の回りの世話をした妻夫木聡にとっては大伯母に当たる。ここから近過去への回想となり、まだ健在だった彼女に妻夫木が自叙伝を書くことを勧めて、身上が書き綴られる。ここから更なる回想に入り、昭和10年代の東京山手の洋館で女中奉公をした彼女の若き日が描かれるわけだが、安易な回想形式が幅を効かせる時代に、死後と生前の老人の暮らしを含みつつ、終盤の作劇も計算された二段階の回想は、やはり巧いものだと思わせる。現代を単なる回想のための位相に置くのではなく、過去と同等に重点を置いて描こうしている。

 山形から東京へ出たタキは最初の1年を小説家の屋敷で仕えた後、その家の妻の妹に当たる平井家へ仕えることになる。ここが表題の赤い屋根の小さいおうちである。和洋折衷のモダンな家と優しい家族――殊に妻の時子(松たか子)はタキにも親身に接し、彼女を生涯この家で仕えたいと思わせる。

 家自体が実質的な主役だけに、最近の低予算映画に見慣れた目には、丁寧に作りこまれたセットに瞠目させられる。嵐の夜、夫の会社の同僚である板倉(吉岡秀隆)が夫の帰りが遅れることを告げに来る。彼は2階の窓が風に煽られて激しく開閉しているので釘で打ちつけましょうと申し出る。タキに梯子をかけてもらい、何とか扉が閉められるが、結果として帰り損ねた板倉はその晩、泊まることになる。夜半、物音に怖気づいた時子は板倉を起こすが、その際、廊下で時子は一瞬の隙を盗むように板倉の唇に体を委ねる。

 以降、2人は密会を重ねることになるが、当然、窓の釘は嵐が去った後には抜かれたはずだが、窓は閉まったままである。後に召集令状が来て故郷に帰らねばならない板倉へ、タキに促された時子は手紙を書く。それを届けに出掛けるタキを見送る際に時子は2階の窓を開く。 

 「外の光が邪魔なのよ」と口にしたのは『実録・阿部定』(75年)の宮下順子だが、窓の開閉を外界とは遮断された世界で逢瀬を重ねる時子の象徴に据えたのは良いとしても、憧れの家=時子に、板倉が夢中で釘を打ちつけるシーンに比べて、閉じられた窓が開かれるシーンの印象は薄い。ここは一人の女性の決意を感じさせなければならなかったのではないか。

 こうした女性への奥手ぶりは、本作から性的な描写を禁欲的なまでに除外してしまう。セックスシーンが無いことを問題にしているのではない。原作から脚色する段階で、山田洋次は時子と夫の関係性を改変している。原作では時子はコブつき再婚であり、夫との性交渉も感じられない。それゆえ夫の会社の同僚との不倫関係も、さもありなんとなるが、映画では夫婦関係は良好で、幸福な暮らしを送っている。それでも他の男を愛してしまうことがドラマを生むはずだが、本作は女中の視点から描いているので、そこには踏み込まない。山田洋次は最初から不倫妻の話になど興味は無かったようだ。

 では、この映画で何を描こうとしたのか。オリンピック開催に浮かれる戦前の日本が進んだ道を、現代に重ねあわせて警鐘を鳴らそうとしたというのが、ひとつの答えになるだろう。だが、同時代を舞台にした『母べえ』(08年)では治安維持法の圧政による被害者と暗い時代を強調して描きすぎた反省からか、本作では、実は明るく楽しい時代だったという視点が導入されるものの、山田洋次はあの時代をノスタルジックに描くことを拒絶する。目まぐるしいまでに現代と過去を往復させ、警鐘のドラを鳴らしまくる。しかし、それによって、現在も過去もドラマ部分が薄味になってしまう。ドラマの中に没頭しそうになると、現代に戻ってしまい、台詞でその後の展開が説明されてしまう。倍賞千恵子のモノローグによる塗りつぶしも感興を削ぐこと甚だしく、殊に手紙を読むシーンが涙声になるというわざとらしさは不快になる。

 学生という設定の妻夫木が「日本は15年戦争で中国を侵略していたんだ」「南京では大虐殺があったんだよ」と、戦前の生活を懐かしむタキに食って掛かるが、妻夫木をネット右翼にしないところに山田洋次の現代性の喪失を思う。

 原作では、タキが時子に対する憧憬を匂わせるが、映画では1シーンだけ男装の麗人中嶋朋子が時子の留守に尋ねてきた際に、タキが突然という感じで時子に抱く不安をペラペラと話し始める。それ以前から、タキが時子に思い入れを持っていることを示す機会――時子が着物の裾を乱して座り、タキに足を揉んでもらうシーンが何のフェティシズムも官能性もない――を活かせていないので、唐突なシーンに映ってしまう。

 性愛に結びつく描写は厳重に隠されながら、戦前と現代を重ねあわせる意図は前面に出た結果、歪な映画としての印象のみが残る。そして、音楽が共に久石譲で、アコーディオンを使った似た楽曲が使用されているからというわけでもないが、同時代を舞台にした宮﨑駿の『風立ちぬ』(13年)を横に並べると、山田洋次とは対照的に、空襲も一切描かず、現代との比較もモノローグにも頼らず、あの時代だけで描ききる宮崎の誤解を恐れない描写に賭けた姿勢が改めて思い出される。

 

『ゲゲゲの女房』☆☆☆★★

映画で漫画家を描くには……

 鈴木卓爾監督の長編第2作『ゲゲゲの女房』は、かつての日本映画にあった、そのドラマチックな顔立ちこそを映画と呼びたくなるような女優に匹敵する魅力を持つ吹石一恵を余すところなく映しだした映画である。前作の『私は猫ストーカー』(2009)は、星野真里という、こちらも本来映画との相性が良い女優を『さよならみどりちゃん』(2004)以降、活かすことができていない日本映画への苛立ちを解消する為に、鈴木卓爾は自主映画や短編の監督から長編商業映画の監督へ転じたのだと信じたくなるほどだったが、この2本でいよいよ20代後半の女優を、映画でその魅力を再度開花させる監督として位置づけられたのではないだろうか。

 もっとも星野真里に比べれば、吹石一恵の活躍は近年めざましい。殊に大河ドラマ新選組!』(2004)以降は、映画でも園子温監督の『紀子の食卓』(2005)へ主演し、現在に至るまで多くの助演も含めた経歴はよく知られるところだ。ただ、10年前、三原光尋監督の『あしたはきっと…』(2000)で蹲踞の姿勢で空手の組手を見せるシーンの彼女の体の曲線、上目づかいの表情、太い眉にすっかり魅せられた者としては、20代半ばの『紀子の食卓』に続く、20代最後の代表作を期待していた。その有無で女優としての30代の風景が随分と変わる筈だけに鈴木監督が「写真で拝見した、武良布枝さんのお顔にあったたおやかな印象、それをフィクションに置き換えた時、吹石一恵さんの陽気な品の良さ、そのような波動が、ドドンと理屈を超えた強度として、布枝さんに重なる気がしたのです。」(パンフレットより)と惚れ込んだ上で起用した作品に出逢えたことは、吹石一恵にとって、これ以上ない僥倖というものだ。

 冒頭、やや曲がった田舎道を自転車で進む女性の後姿が映しだされる。ハイキーのその映像は、やがて落ち着いたセピアになるが、HDで撮影された本作はフィルムレコーディングされた版と、そのままデジタル上映された版があるようだが、フィルム版でしか観ていないので撮影(たむらまさき)の意図通りの色調で映されているのか判然としない。それは兎も角として、正面から走る自転車を映しだすと、それが布枝(吹石一恵)であることがわかる。ここから吹石一恵を眺め、舐めまわし、視姦を楽しむとも言うべき映画が始まる。酒屋を営む実家で働く布枝をカメラが横移動して彼女の側に寄り添う。芝居と彼女の動きに沿って上手と下手に流れるように動くカメラに見惚れていると、ふと、彼女が片方の耳にかかった髪を掻き上げる。もうこの辺りから、不味いぞ、この感じはと思っていると、「雪が降ってきたぁ」と夜の庭で空を見上げた彼女がつぶやく顔のアップをあおりで捉えたショットが映しだされる。これが決定的だ。くぼみのある瞼、頬から口元にかけての曲線とそこに落ちる影、陰鬱にも思えた顔が瞬時に雪によって明るさを見せるその顔は、いつまで見ていても飽きることがない。その造形の豊かさが映画そのものだと見惚れてしまう。予告篇にも使用されている夫の資料を廊下に投げ捨てる時の、手をプラプラと振りながら憤る表情、自転車の後ろに乗りながら夫と「チキンカレー!」と声を揃える時の大きく見開いた目など、吹石一恵の表情の集積が映画になったとだと言いたくなる。

 『ゲゲゲの女房』は女優・吹石一恵を見る映画である。で、終わって良いのだが、鈴木卓爾が監督した漫画家の映画という一点で別の興味も出てくる。つまりは『トキワ荘の青春』(1996)で藤子不二雄Aを演じた鈴木卓爾が、今回は監督に徹し、同じく俳優兼業の脚本家・宮藤官九郎を主演に迎えて、漫画家映画をどう撮ったのかという興味である。しかし、著名な漫画家を主人公にした映画は退屈にならざるをえない。『トキワ荘の青春』や『美代子阿佐ヶ谷気分』(2009)でも、そこから時代性と貧乏を取り除いてしまうと何も残らない。小説家と違って、他者や異性に対して自己陶酔的にアピールし、アクティヴに動き、恋愛に走る積極性は、映画になるような国民的人気漫画家たちは持ち合わせていない。トキワ荘グループで言えば森安なおやが、唯一そういった無頼的雰囲気を持ち合わせており、孤独死に至るまでの破滅的でありながら脳天気さを併せ持った人生は実に映画向きだと思うが、知名度と作品の再評価が進んでいない点でどうか。結局、有名漫画家を主人公にすると狂言回しにとどまり、周辺に居る人物たちが動くことで物語が動き始める。そこで起きる小さなエピソード群は映画よりも、15分~30分ほどの連続テレビドラマこそが映像化に相応しい場だ。だからこそNHKで『マー姉ちゃん』(1979)、『まんが道』(1986-87)、『これでいいのだ』(1994)、『ゲゲゲの女房』(2010)と漫画家モノが何度となく製作され、その大半が人気を博した理由にもなろう。   

 本作では、結婚、初夜、原稿料の交渉、出産といった物語上の山場は、全て帰結させずに次の描写に移行することを徹底している。布枝の結婚話が家族との食事中持ち出された後は、初対面の瞬間も、結婚を了承する瞬間も省略して、しげると正装で記念写真を撮っているシーンだ。フレームの外からのカメラマンの声で二人が距離を縮めるという歩幅の伸縮のみで、お見合いから5日で結婚という、最もドラマチックになるシーンを実にあっさりと描く。しげるが自宅に布枝を連れ帰った初夜、風呂に入るので背中を洗ってくれと朴訥に告げる。片腕のない自身の裸身を晒し、それを直視させた上で行為に移ると想像できるが、カラミは描かないにしても風呂場での背中を流すシーンを代わりに丹念に見せるに違いない、という予想はあっさり裏切られて風呂場が映されることはない。では、何が映っていたかと言えば、風呂場に向かう前に布枝が脱ぐ靴下だ。意を決して靴下を脱ぐ緩慢な動きは何とも官能的で、別に足フェチではないが、翌日の靴下の重ね履きと、足裏と尻を強調してローアングルで映す廊下の雑巾がけと共に何とも艶やかに迫ってくる。

 出産や、布枝がネジを巻く柱時計は、もっと象徴的に描くべきではないのか、などとあまりの堂々たる省略ぶりに心配にもなるが、そこをセオリーどおりに山場を作っていけば、小山が連続するだけの本来連続テレビドラマで作るに相応しい題材を映画でダイジェスト的に消化しているだけにしか見えなかっただろう。終息に持っていかずに次のシーンへと移行し続けることで、時間の流れも空間の位相も生者も妖怪も曖昧化され溶け合っていくのだ。

 本作の舞台は1961年だが、カレンダーの片隅に記された文字からしか示されない。東京駅や調布駅前は現在の姿をそのまま無防備に撮影しており、家出した布枝が姉の家からの帰りに立つバス停の背景にも現代の大きなマンションが映りこんでいる。これらのシーンで“現代”を排除することは容易い。『初恋』(2006)や『美代子阿佐ヶ谷気分』規模の小品でもデジタル合成でその時代を再現していたのだから。あるいは『トキワ荘の青春』では当時の写真を挿入することで時代と気分を作り出そうとしていた。本作ではそれらを拒否して東京駅や調布駅前で現代の建物や人々が存在する中で主人公夫婦や下宿人や傷痍軍人を前に立たせる。これは撮り方によっては随分と鼻につく手法の筈だが、たむらまさきの手にかかると背景が主張しすぎず、さもそれが当然であるかのように見つめることが出来てしまう。すると、カレンダーの1961なんて数字は遥か昔の剥がし忘れたものでしかなく、これは現在なのかもしれないとも思う。あるいは未来の日本の姿かもしれない。またはそこに映っているものたちは皆、死者かもしれないし、曖昧化された時空間の果てに映りこんでいる幻影かも知れない、あるいはこの建物こそは妖怪で、突然動き出すかも知れないとも思う。沖島勲の『一万年、後….。』(2007)と同じように過去も現在もない、窓の外には妖怪なのか怪物なのかが跋扈している一軒の古びた木造家屋を中心にした宇宙がそこにあるのだ。

 「貧乏は全然平気です。命まではとられませんけん」と片腕の無い主人公は力なく言う。しかし、貧しさのあまり餓死した知人の報を耳にすると笑いながら憤る。「餓死する人間がまだいるこの世の中が、新しい世界だなんて、どこの誰が言えますか」と。貧乏は悲しくて腹がへる。しかし、映画はそれを映せなくなってしまった。郷愁に差し替えてしか映し出せなくなってしまったのだ。どんなに精巧なCGでその時代を作り出しても、現代を前提に美化された過去でしかない。気分で描かれる貧乏や時代は、予算が豊潤であろうと少なかろうともその画面はおそろしく薄っぺらい。『ゲゲゲの女房』は、ただ無心に漫画を描き続けた男と、不条理劇の様にその世界に連れ込まれた女が、かろうじて得た穀物を口にし、共に寝食を繰り返して生きた緩慢な日々を、そのディテイルを丹念に描くことが映画で漫画家を描くことなのだと示してくれる。その画面の豊かさが貧しさを救う。

『ライブテープ』☆☆☆★★★

演出/松江哲明  構成/松江哲明  出演/前野健太 DAVID BOWIEたち 長澤つぐみ

2009年 日本 カラー 74分 池袋シネマ・ロサ

  松江哲明がライブ映画の傑作を撮った。

 今年、既に『ドキュメント・メタル・シティ』を発表し、『あんにょん由美香』やその他の新作も予定されている松江の更なる新作が『ライブテープ』だ。本作は、前野健太を被写体に、吉祥寺で行ったライヴを記録したものだ。その試写が池袋のシネマ・ロサで行われたわけだが、元々撮影に関わったスタッフを集めて松江の自宅で完成披露を行う予定だったというが、編集を進める内にスクリーンで上映したいということになり、シネマ・ロサの支配人の采配によって、劇場で完成披露が行われることになったという。そういうわけでキャパが一気に大きくなったので、一足早く見せてもらうことができた。

 試写はレイトショー終了後なので、23時開始という深夜試写だが、一回きりの上映かつ、現在のところ公開未定であること、サンプルDVDも用意していないなど、レア感が溢れたせいか、あるいは音楽映画だけに劇場で観たいということか、また何より松江哲明の新作という期待もあってか、こんな時間にシネマ・ロサの前をミュージシャンから映画監督から脚本家から編集者から評論家、ライターなどが取り囲む異様な雰囲気となっていた。

 この作品に関しては、松江のブログを参照するか(→http://d.hatena.ne.jp/matsue/20090101)、『スタジオ・ボイス 09年02月号』の『松江哲明のトーキョー・ドリフター』を参照した方が早い。松江と前野の出会いは昨年7月11日に阿佐ヶ谷LOFT Aでの『SPOTTED701』のイベントで前野がライブを行ったのが最初だと思う。客席で見ていて、舞台上の松江が心底良いなあと繰り返し言っているのを聞いて、いつか作品に結びつくのではないかと思ったが、こんなに早く長編映画が出来上がるとは思ってもいなかった。

 本作は、今年の元旦に吉祥寺で撮影されたものだ。前野が街を歩き、歌う姿を1シーン1カットで撮影している。それもminiDVの限界である80分(LPモードを使用すれば1.5倍の120分まで記録可能だが、耐久性のある標準モードでの限界時間内で記録しようというカセを自ら課したのが本作の特徴でもある)ギリギリまでという制限付きで。

 正直言って、事前にそのカセを知っていたので、この作品にはその撮影スタイルへの興味が一番になってしまっていた。普段から他のライブ映像を観ても思うことだが、誰が監督したって違いがそうあるわけでもないし、撮影にしたってアングルが限定されているので、そう変化があるわけではない。せいぜい編集のヘタウマがあるぐらいのものだ。だから、いくら街を歩きながら歌うというところに目新しさがあるとは言え、そうこちらの予想の範疇を超えたものにはならないと思い込んでいた。だから、松江監督と撮影後に話す機会があった時も専ら撮り方しか聞かなかった。ステディカムは使ったのか、正面からばかり撮っているのか、(カメラは被写体を)周りこんだりしないのかとか。歌って歩いている“だけ”なのだから、どう撮ったが主体となる映画なのではないかと思っていた。

 ところが観始めるや、これまで観たこともないライブ映画になっていることに驚かされた。確かに歌って歩いているだけだ。しかし、吉祥寺がまるで巨大なライブ会場であるかのように見えてしまう。通行人全てがエキストラのように思えてしまうのだ。カメラは自由闊達に動き(撮影は近藤龍人)、前野健太ものびのびと歌っている。何故こんなことが出来るのか。予算がかかっているわけではない。カメラだってステディカムも使わずに確か三脚を一脚のように抱えて使ったか、一脚を使ったか、そんなアナログな撮り方をしているだけだ。切れ目なく撮影された1シーン1カットでありながら、撮影スタイルが気にならない。ごく当然のようにカメラはいつの間にか正面に回り、またいつの間にか後姿を捉えている。

 

 以下、とりあえず画面に映っていたものを採録風に書いていってみる(予備知識なく観たい人は読まないで。太字は歌った曲名)。

 冒頭は、着物で着飾った長澤つぐみが武蔵野八幡宮で初詣している姿の横顔をバストアップで捉え、やがてアップとなる。いきなり作りこんだ存在が画面を覆うので驚かされるが、彼女が導入部を担う。神社の境内を歩く後姿にタイトルがWる。そこにギターのリフが響く。神社の入口にもたれかかって立っている前野健太を画面は映し出し、既にギターを抱えている前野はここで『18の夏』を歌う。歌い終わると歩きだす。今度はそのまま歩きながら『豆腐』を歌う。警備員がカメラ前を横切るのも映されている。この辺りでこの作品のリズムに入っていける。街と歌と前野健太が同居しているその空間を記録していく。編集を行わないというカセはその時の時間がそのまま記録されることになるが、単にダラダラと記録しただけには松江哲明×近藤龍人だけに当然ならない。時には早急に、時には弛緩した時間が流れる。何故そんなことが可能なのか、考えながら画面を見つめる。 続いて道を挟んでマックが見えるあたりで『こころに脂肪がついちゃった』。母親が子供を自転車の後ろに乗せて横切る。

 吉祥寺の中心を貫く商店街・サンロードに入ると、バウスシアターが直ぐ間近に見えるので、本作の企画が生まれた発端がバウスシアターでの爆音上映だったということもあり、松江のことだから何かアクションがあるに違いないと思ってしまう。案の定、前野健太はバウス近くの柱に屈みこみ、『100年後』を歌う。一瞬フェードで黒が入るが音は継続したままだ。

 再びサンロードを歩きだす前野に、松江が話しかける。どれぐらいのテンションで唄っているかというようなことを聞く。80ぐらいと答える前野に120ぐらいでやってと松江。このやりとりを見て、やはり松江哲明は介入する映画監督だなと思った。カメラが回ると存在感を消してカメラの後に隠れるのではなく、画面外から前野健太を煽るのが松江らしいやりかただ。それは後半に行くに従って加速していく。ここで『生きている私』『こころに脂肪がついちゃった』。

 前野健太が進行方向を変えて露地に入る。ここはラムタラのある通りだ。エロDVD屋への愛情を示す寄り道と思えなくもないが、自販機で喉を潤す前野に松江は更に「もうちょっとカッコ悪く」と言う。

 サンロードに戻って今度は伊勢丹ディスクユニオンがある筋に入る。松江がサングラスを取りませんかと投げかける。躊躇しつつ前野は外し、通りすがりの母親が連れた子供にサングラスをあげてしまう。ここの突発的行為が良い。松江が色々と仕掛けていくから予定調和が壊れる。そんなカメラが回り始めたらミュージシャンのものになってしまうライブ映画には絶対するまいと、あの手この手で仕掛けるのが松江だ。それでいて、それが映画の流れの邪魔にも鬱陶しくならないのも凄い。ここで素顔の前野が歌うのが『このカラダ』。

 細い路地に入り、飲み屋の前に二胡を弾く男が居て、前野とセッションを始める。そして『ロマンスカー』に。前野が飲み屋のカウンターに前の座って『友達じゃがまんできない』。

 吉祥寺駅前に出て人通りが多くなるや、予備のサングラスを前野が再びつけて『ダンス』。

 南口へ出る。サックス奏者との共演を経て、山梨中央銀行前に立つ前野。カメラは道を隔てた場所から撮っている。松江が叫ぶ「そこで『sad song』!」。前野、その通り『sad song』を歌う。松江の介入の最たる箇所がここだろう。マーティン・スコセッシですらストーンズのライブに傍観的立場で撮影せねばならず歌う順番が分からず苦慮していた。結果ラストに妙な合成を入れたりして無理矢理自分の色をつけて作品にしていたが、松江は驚くくらい率直に介入してくる。歌う順番まで指示する監督の声が本篇に入っているのだから。普通ならこんな鼻もちならないシーンはないだろうし、ミュージシャンにも失礼だ。ところが松江哲明がやるとそうはならない。相互の信頼と、前野の歌が好きでたまらないという思いが、本篇中にそんな言葉が出てこなくとも、わずかなやり取りや、その場に生れる空気が観客にそれを気付かせる。

 更に南へ下り、武蔵野公会堂前で『青い部屋』。

 松江、歩きながら『天気予報』が出来るきっかけを前野に聞始めるが、やがて立ち止まり、松江が画面に入ってくる。これまで画面の端にわずかに姿が見切れることはあっても、大半は声による介入だった松江哲明がここに来て、全身を画面に入れ、前野と並んで話始める。ここからこの作品がポンと跳ねあがる。ライブ映画から、前野健太を反射させた松江哲明のセルフドキュメンタリーへ変貌を遂げると言ってもいいかもしれない。勿論、映画の体が変わるようなこともないし、前野健太を利用して自分語りにもっていくようなこともない。何故吉祥寺を歩き、何故松江哲明が元旦にこの映画を撮ったのか。前野健太との出会いと、松江を取り巻く忘れ難い出来事を、前野を通して描いていることが、前野の語る『天気予報』誕生秘話から察することができる。

 最後に井の頭公園で『天気予報』が大音響で響いた時、涙がこぼれた。松江哲明の作品で、はじめて泣いた。そこで何が語られ、『天気予報』がどういう形で歌われ、カメラがどう捉えられるか、それは実際に作品を観てもらうしかない。更にこの後、『東京の空』が歌われるが、そこでも何が映されているかは書きたくない。観てもらうしかないからだ。ただ、映画を観ていて、これほど幸福な気分になったことは久々だったとだけ付け加えておく。

 

 大島渚が1968年の新宿を『新宿泥棒日記』で記録したように、庵野秀明が1997年夏の渋谷を『ラブ&ポップ』で記録したように、松江哲明は2009年元旦の吉祥寺を『ライブテープ』の74分に記録した。

 私信なので書くのは何だが、本作の試写の誘いを受けた際に松江監督とメールをやり取りしていた時、松江監督は“「ラブ&ポップ」のラストのさらに先を目指した”と書いていた。『ラブ&ポップ』のラストは、『あの素晴らしい愛をもう一度』が流れる中、渋谷川を女子高生たちが正面を向いて歩く姿を1カットで捉えたものだ。35mmで撮影可能な約10分の中にそれぞれの歩幅で歩く姿を収めたドキュメントとして深い印象を残した。そういえばデビュー作『あんにょんキムチ』の中で酔った松江が亡くなった祖父を思い『あの素晴らしい愛をもう一度』を夜道で歌うシーンがある。本作は、渋谷川から更に街へと歩を進めた、正に“「ラブ&ポップ」のラストのさらに先”を描き、『ラブ&ポップ』のラストを超えた作品となった。

 この作品を観るにあたって、前野健太を知っておく必要はない。むしろ知らない方が良い。知らないミュージシャンが歌っているライブ映画が面白いのかという不安が驚くほど一瞬で吹き消される心地良さを体感できるからだ。本作の音の構造は面白い。マイクを6本使用したというだけあって、曲によってミックスが違う。だから街のガヤが最少にまで小さくなる曲もあれば、大きく入ってくる曲もある。最初はせっかく街で歌っているのだからガヤがもっと入った方が良いのではないかと思うほどクリアに歌が録音されているので思った。しかし、それでは直ぐに飽きるだろう。このミックスの違いで曲のメリハリがはっきり出て、終盤の盛り上がりにも活かされる。

 本作は何度でも繰り返し観て、様々な視点で語りたくなる魅力にあふれている。前野健太の歌を、ライブを、吉祥寺の街を、松江哲明の反射させたセルフドキュメンタリーとして、それぞれの視点で観返したい欲求に駆られる。

 ひょっとしたら、松江が『あんにょんキムチ2』を撮るなら、今だろうという意見があるかもしれない。『あんにょんキムチ』に登場した親族に不幸があり(劇場で配布されたプレスには、その辺りの事情が日付入りで掲載されている)家族構成に変化が生じた今こそ続編を撮るべきではないかと(個人的には『あんにょんキムチ2』は、松江哲明が父となり、子供が出来た時に観たいという思いがあるが)。しかし、松江は『あんにょんキムチ2』ではなく『ライブテープ』を撮った。明るく前向きな楽しい映画を撮って、その中に亡くなった親族や友人への思いを盛り込むことができる。前野健太と組めばできるという確信があったに違いない。だからこそ、ライブ映画+セルフドキュメンタリーという、融合しない筈のものが違和感なく融合し、まるで造作もないように傑作を撮ってしまった。

 本作の魅力はまだまだ書き足りない。しかし、それを散発的に長々と書く以前に、この作品が多くの観客の目に触れてほしいと思う。松江哲明前野健太を知っておく必要はない。何の予備知識もなくて構わない。ただ、劇場で音を体感して欲しい。それだけで、劇場を出てから街の景色や人の顔がまるで違って見える、そんな稀有な経験を多くの人にしてもらいたいと思ってしまう。それだけに、一刻も早く劇場公開して欲しい。『新宿泥棒日記』も『ラブ&ポップ』も公開は翌年初春だった。『ライブテープ』は2009年の空気が充満した映画だ。今年中に多くの観客に届いて欲しい。

『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』☆☆☆☆

監督/若松孝二  脚本/掛川正幸 出口出 大友麻子  出演/坂井真紀 伴杏里 地曵豪 大西信満 中泉英雄 桃生亜希子 並木愛枝 ARATA 坂口拓 小倉一郎

2007年 日本 カラー ビスタ  190分

  1970年前後に『テロルの季節』『性賊 SEX JACK』『天使の恍惚』など、現実よりも僅かに先を走る映画、予感の映画を撮り続け、連合赤軍事件をも予感させた映画を撮った若松が、『実録・連合赤軍』のタイトルで過去を描く。それは、総括なのか、新たなる展開なのか、後退なのか。

  開巻の吹雪の中を進む人々を捉えたロングから直ぐに引き込まれる。前作『17歳の風景 少年は何を見たのか』の雪には魅力を感じなかったが、今回の雪は凄い。同じ監督、カメラマンで何が違うのか。

 本作は明確な分け方はされていないが、三部構成となっている。60年代の時代背景と連合赤軍成立までの歴史をスチールを多用して原田芳雄のナレーションで見せる第一部。ここでは、それらの描写の合間に重信房子永田洋子ら主要人物達の学生運動への目覚めを短くインサートして見せていく。

 この第一部は、60年代~70年代前半の若松作品のセルフリメイクと言って良い描写に満ちている。最も象徴的なのは、黒バックに赤ヘルでその場で足踏みしているカットにOLでデモ風景を被せるという見せ方で、これは『狂走情死考』などでも使われていた手法だ。どれだけ意識的かは分からないが、今では使われることのない手法をここで再び用いていることに、セルフリメイクとしての第一部が浮かび上がってくる。更に言えば、新聞での見出しの見せ方も同様で、遂には『天使の恍惚』の主題歌『ここは静かな最前線』までが、渚ようこのカヴァー版で闘争の計画を練っている際にバーのBGMとして流れてくる上、ピース缶を投げる描写ではOLしているので若干分かり難いが、同じく『天使の恍惚』の該当シーンから抜粋している。

 確かに過去の若松作品と『実録・連合赤軍』を比較して最も近い作品となると『性賊 SEX JACK』『天使の恍惚』になるかと思うが、殊に『天使の恍惚』は構造的に最も近い。それだけに自ずとリメイクに近い形になってしまうのだろうが、前述のような箇所だけでも、意識的にそれが行われたのではないかと思える。

 それだけに、第一部を観ている段階では、これは若松作品の集大成的な作品になるのだろうと予想した。だから使い古した手法を敢えて持ってきて、全部総ざらいする気なのかと思った。

 個人的には『天使の恍惚』という作品は繰り返し観ているし、愛着もあるが、作品の完成度としては若松作品の中ではそう高くないと思っている。大きいハナシを展開させる際の組織の描写が、四季協会という名称や個人名の呼び方が安っぽいという問題もあるのだが、映画版の『怪人二十面相』みたいな雰囲気で、それまでのもっと低予算の作品でも感じなかったチープさがやたらと漂い、個的闘争そのものを描いてきたそれ以前の作品と違い、時代の状況をより大きい規模で捉えることの困難さ、大状況を描くに足りる予算の無さが痛々しかった。それは、『実録・連合赤軍』においても同様で、既に歴史上の大きな出来事であるその時代の状況を描くことの困難さを感じた。つまりは予算の限界が現在の街を背景にしている限りはかなり出てしまうということも大きいが、現在の建物を前にして、現在の顔の役者たちが、それも顔の知られた役者は極く少なく、演技も危うく感じる上にモブシーンを見てもエキストラは皆現在にしか思えない服装、表情でデモをしている空虚さなど、引き込まれつつも、決定的なものが欠けた作品になってしまうのではないかと思った。

 ところが、第二部とも呼ぶべき山岳ベースに移ってからは、映画が一変する。

 時代性を喪失した自然の風景を前に小屋が作られ、訓練を始めるや、役者たちの顔つきまでがまるで変わって見えてしまう(撮影順序は大菩薩峠でインして新倉、榛名山、迦葉山のロケセット、都内各地のロケ、セット撮影、逃亡シーンとあさま山荘内部撮影でアップとのことだが、都内でのロケと、自然を背景にした場合やロケセットでは明らかに演出も撮影も演技も違う)。こうなるとバジェットの規模など関係なくなり、第一部で感じた不満は姿を消し、更にそれまで散見できた過去の自作の引用も無くなり、ここからは全く観たことがない若松孝二の新境地が姿を現す。

 第二部で描かれるのは山岳ベースでの軍事訓練と粛清だ。既に『光の雨』、或いはそのヴァリエーションとして『鬼畜大宴会』が先行して作られているが(『地獄のエロス 肉欲獣』は未見)、夫々劇中劇、スプラッタホラーの体裁を取ることで正面から描くことを回避していた。それは、現在において連合赤軍を描く困難さに対して考え出された策だろうが、『突入せよ!「あさま山荘」事件』では、連合赤軍という記号すら希薄で、山小屋にコソ泥が逃げ込んだだけと言っても良い様な扱いだった。本作は、正面から描いたはじめての作品だが、若松孝二が、それもスポンサーの干渉なしに自主制作したとなれば、相当赤軍寄りの視点―嘗て田村孟長谷川和彦の為に書いたシナリオ『連合赤軍』がそうだったと言うが―“おまえ達は良く闘った。しかし、大きな誤りを犯した”という悔恨の情が顕著なのではないかと思えた。しかし、それは田村孟といった50年代の運動での挫折経験を60・70年代において作家の視点から見つめた者だからこその悔恨ではないかと思える。ノンポリヤクザ出身の若松には青春の挫折の投影を連合赤軍を描く際に行おうという意思はない。だから、本作が当初足立正生の脚本で企画されつつも若松が採用しなかったのは、前述したような悔恨に満ちたシナリオに上がっていたのではないかと想像するのだが。

 結果、画面に現れるのは、劇中劇でも、ピンクの枠から性を通して描くわけでも、ホラーにするでもない、徹底した即物的な描写だ。淡々と起こった出来事を見せていく。そこには過度な感情移入も、正当化も無い。起こった出来事をひたすら並べていく。第二部から映画がダイナミックに動き出したと言えるのは、この即物性に満ちた描写の力強さが凄いからで、第一部の、重信と永田が線路沿いを歩きながらの会話に代表される情感を描いた際の違和感の印象がまだ残っていただけに第二部の変貌は鮮烈で、画面そのものも、加速度的に全く異なる様相を呈してくる。

 撮影を担当したのは、若松とは『完全なる飼育 赤い殺意』『17歳の風景 少年は何を見たのか』に続いてのコンビとなる辻智彦で、今回もビデオ撮影だが、本作で遂に作品と監督とカメラマンがピッタリ一致したという印象を持った。ドキュメンタリー出身だが、『17歳の風景』でのドキュメントタッチを支えていたが、作品そのものの物語性の不足とドキュメント志向が成功しているとは言い難かった。それが本作では題材と方法論と辻智彦の技術が一致し、通常の撮影では出てこなかったであろう役者の表情と、その場の空気を記録することに成功している。例えば、ビデオ撮影の利点を活かし、小屋の中ではランプのみの光量で撮影していると思われる薄暗さの中で演技しているのを切り取っていくのを観ても、メイキングを観ないと分からないが、現場は何か凄いことになっていたのではないかと思えてしまう。そうでなければ、坂井真紀やARATAなどが妙な目立ちかたをしかねないが、全くそうはならず、永田洋子を演じる並木愛枝などは正にそうだが、観始めた頃は永田洋子を演じるのに持つだろうかと思ったが、どんどん存在感を表していく。それは他の役者でもそうで、大半が無名の役者なので不安に思っていたが、こんな表情できるのかと思うような、ハッとさせる瞬間が画面に収められて行く。これは若松が場を作り、空気を沸き立たせ、それを辻智彦が逃さず記録していくといった方法が取られたのだろうか、などと未だ観ぬメイキングへの期待を積もらせる。

 粛清の描写で印象的なのは、一人一人の粛清をどういう見せ方で―つまりは繰り返される自己批判からリンチへの移行をどう見せるのか―という時に、如何にもな狂気性の表現や、回想なりフラッシュバックに持っていかずに、一人が自己批判を求められると、次のカットではもう柱に縛られてアイスピックで刺される瞬間だったり、既に死に体に近い状態になっているカットへと飛ばし、思い入れたっぷりに一人一人の死を描かずに、ひたすら次々と粛清されていく様を描く。それが逆に恐ろしく、彼らが行った行為の愚かさが際立つ。

 ここに至って、赤軍シンパの若松の撮った連合赤軍映画という先入観は完全に消える。ここまで普遍性を持って描くとは思ってもいなかった。

  そして第三部は、いよいよあさま山荘での闘争となる。

 第二部ですっかり引き込まれつつも、あさま山荘に舞台が移ると、それでも不安になったのは、若松の別荘をあさま山荘に見立てて撮っただとか、モンケーンが出せないからショベルカーを使ったとか耳にしたからだ。肝心のクライマックスが低予算丸出しになるのではないか、『突入せよ!「あさま山荘」事件』でさえも、山荘の表は安手のCGに頼り、後ろをセットで作っていただけで、とてもあさま山荘を再現できていたとは思えなかったが、本作ではそれ以下の描写になるに違いないと思っていたら、これが全く条件の悪さを感じさせない、見事なまでにあさま山荘を画面に作り出していた。建物の全体像は見せずに(見せることができない)、逃げ込む兵士達に密着したハンディの映像で雪の中を走り、山荘に入り込む。そのシーンだけ突如そんな撮り方をすれば建物バレを気にしてのことと察してしまうが、一部、二部の積み重ねで、全く違和感なく観ることが出来る。山荘内に入ってからも、カメラはハンディでその場で起こっていく出来事をどんどん記録していく。外からの壮絶な攻撃と応戦が描き出されるが、ほぼ室内のみで見せているのに、音響の効果も相まって、迫力ある戦場がそこにあった。公開されたら話題になるであろう人質と兵士のやり取りや、ARATAの際立ちぶり―吉沢健みたいになっている―が凄いとか、観ていて圧倒され、あっという間に終局を迎える。ここだけの為にも公開されたらもう一度観たいと思わせる。

 ただ、警察側への射殺やパイプ爆弾に関しては不明瞭な描き方で、『幽閉者 テロリスト』の冒頭の空港のテロシーン同様、引っかかる。

  そして映画は再び第一部の流れに戻り、遂には歴史と映画と若松孝二が渾然一体と化す。『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』で最も印象的だったドバイ日航機ハイジャック闘争でのボーイング機の爆破シーンが流用され、画面の中で激しい爆発を見せる。そしてあさま山荘事件以降の連合赤軍日本赤軍の流れが紹介される。70年代、80年代、90年代を経て、2000年の重信房子逮捕、レバノンから日本赤軍メンバーの強制送還が示される。その中には足立正生の名も刻まれている。ここに至って、現実を僅かに先に歩む映画を作り続けてきた若松が、連合赤軍事件を描き、その中で『天使の恍惚』他の脚本を手がけた足立の名前が劇中で登場するという、現実とフィクションが融合してしまう瞬間を体験する。第一部での『天使の恍惚』への目配せと共に、映画と現実の距離が限りなく接近している。それを観ていて恐ろしいと感じたが、本当に驚愕すべきは、若松が集大成(第一部とエピローグ)と共に新たな領域(第二部・第三部)へと足を踏み込んだことだろう。

 『実録・連合赤軍』は、若松孝二の最高傑作の一本にして、集大成且つ新たな映画世界へ突入した作品だった。71歳で新たな代表作を撮り上げた若松孝二は、ひょっとすれば今後とんでもないことになるのではないか。何せ、次回作にと語っているのは、山口二矢を取り上げようとしているのだから、60年代以上に過激な映画作家となってしまったタガの外れた若松孝二に注目である。

『性の放浪』☆☆☆★

監督/若松孝二     脚本/出口出足立正生 沖島勲)     出演/山谷初男  新久美子 水城リカ 小水一男 沖島勲

1967年 日本 若松プロダクション モノクロ シネスコ  78分

 この作品への予備知識は少ない。若松の著書『俺は手を汚す』と、足立正生の『映画/革命』*1などで僅かに知っていたぐらいだ。沖島勲の脚本に足立が少し手を加えたものであること、当時話題になっていた今村昌平の『人間蒸発』のパロディをやっているということなどは知ることができても、作品の全体像は想像できなかった。

 沖島は、『情欲の黒水仙』で若松の助監督をはじめて務め、続いて『密通』『白の人造美女』と就き、二本撮り(当時の作品の大半にはそういった形で参加した由)の『日本暴行暗黒史 異常者の血』『性の放浪』へと続いていく。『日本暴行暗黒史 異常者の血』は、若松作品の中でも最高傑作だと思っているので、連続で撮られた『性の放浪』へも過分な期待をしてしまうが、期待に違わぬ秀作だった。

 『壁の中の秘事』以降の作品で顕著な若松作品の象徴的建築物である団地が冒頭に示される。団地映画の傑作『テロルの季節』などを観ても思うことだが、団地をどう撮れば映画になるかを既に熟知しているかのように、ロングでパンして、13棟といった建物を画面に収めつつ、通路などを縦の構図で見せたりと、スルスルと団地をカットを積み重ねて見せていく。その時に不気味なのは、“イー”“ウワアー”といった唸り声のようなSEが画面を覆っていることだ。

 山谷初男が電車から降りて来る。そしてモノローグで、見覚えのない駅であることが語られる。そこから、何故そこに自分が居るのかを思い返していく。その過程をスチールを重ねていくことで見せるのだが、これが効果を上げている。何せ山谷初男というだけで、既に時空間は捻じ曲がるほどの異世界ぶりを例によって発揮しているのだから、新宿の雑踏を一人佇む姿を捉えたスチール一枚で、もう、ここではないどこかに観客は連れ出される。だから、以降のもう帰らないと団地の一室で待つ妻が煩いと思いながらもズルズルと帰り損ねて、やがては脱走犯(ガイラ)に金を持っていかれて一紋無しになってしまっても、山谷はむしろ清々したような顔つきで放浪する。女に引っ掛けられた後、レストランで食事するも置いていかれてしまい、無銭飲食となっても、下働きをさせてくれと頼み込んで、懸命に働く。そこには、嘗ての生活していた場から、どこでもないどこかへ逃れることができた喜びを内に秘めた男の姿があり、それは翌年に製作される足立の『性地帯 セックスゾーン』を連想させる。しかし、同僚の女にそそのかされて金を盗んで共に逃げることになるも、呆気なくまたも山谷は置いていかれる。ちなみに、この逃亡シーンを俯瞰のサイズで捉えたショットは素晴らしい。

 以降、終盤まで書き連ねたい欲求に駆られるが、あまりに深入りしてこの作品に引き込まれると危ないという意識が働く。沖島色の強い脚本であることは、時間も場所も超越してしまった山谷の放浪が延々と繰り返されることからも、明らかに足立脚本とは異なるのだが、それだけに、妙な時間の歪みを感じてしまい、本当にこういう映画だったのか、後から思い返すと彼方に蒸発してしまいそうな、おぼろげな印象として残っているだけだ。

 前述の『俺は手を汚す』の中で『性の放浪』の関連記事として、藤枝静男の『欣求浄土』*2にこの作品が取り上げられていると、該当箇所が引用されていたが、その部分を抜き出してみると、

 ― 章がスイッチを消して黙っていると、この若い友人が、自分の感心したというピンク映画を観ることを勧めてくれた。三本立ての最期の番組みで「性の放浪」というのがそれだというので、早速映画館に電話をかけて上映時間を確めておいてから夕食後しばらくして出かけた。―中略―強姦が終わると女はぐったりとして気を失っている。男が女の鼻のところへ掌をあてて生存を確かめて、それから近くに放り出されたハンドバッグから金を盗んで逃げて行く。次はまたちがう町になる。やはり通行人は一人もいなくて、男が立ち止まって首を曲げると、その方角の家の奥で夫婦が交接している。また少し歩いて見当をつけてのぞくと、その家でも交接している。みんな同じことをしている。以上が「性の放浪」の主要部分であった。最後に、この男が東京の上野駅らしいところの改札口から出てくるところがうつる。男が沢山の乗客にまじって吐き出されてくると、駅の構内では映画のロケーションをやっている。カメラの横に反射板を持った男が立っている。板の裏には「蒸発」と、題名らしいものが書かれている。そして全身ピンク色に染まって出てきた彼の痩せた妻が、いま俳優の一人として、ポーズをつくってカメラに向かって歩いて行く。ここのところは前の新聞の映画欄で読んだ問題映画と同じだ。

 真面目な映画だ、と章は思った。


藤枝静男 『欣求浄土』より)

 と、書かれている。長らく自分にとっては、『性の放浪』の内容を伺い知ることができるのは、この文章だけだった。作品を観ることが出来てからこの文章を読み返すと、ディテイルが違っている箇所が多いことに気づくが、作品の雰囲気は最もよく伝わっていることが分かる。唯一の問題は、終盤の箇所で、<全身ピンク色に染まって出てきた彼の痩せた妻>と書かれていたのが印象的だったので、どんな見せ方をしているのだろうかと思っていた。パートカラーでピンクに塗りたくられた女が登場するのかと思っていたので、フィルムの欠損がないとするなら、上野駅で撮影クルー(監督役は沖島勲!)に囲まれた女はごく普通の格好でモノクロのままだったということになる。『人間蒸発』の露骨なパロディで終わるので苦笑しつつも、『欣求浄土』のディテイルの誤り、ありもしないシーンの創造は、観終わった途端にスルスルと手から滑り落ちるかのように、果たして今見た映画は存在したんだろうかと思わせずにはいられない―、劇場に来る前にアルコールが入っていたからだけとは言いたくないような―、若松作品の中でも最もおぼろげな作品になっていたということを実感しただけに、納得できてしまう。だから自分は、観終わった直後に、もう一度観たいと呟かせてしまうのだ。今観たものが本当に存在したかを確認するために。

 尚、観るに当たって一応注意を払っておこうと思ったのは、この作品は完全なる若松監督作品ではないということだ。若松が配給の仕事で1日参加できず、千葉でのロケを足立正生が代わりに監督したという。どの箇所がそうなのか、見当をつけようと思ったが、わからなかった。

『一万年、後....。』☆☆☆★

『一万年、後....。』(映画美学校第一試写室) ☆☆☆★

2007年 日本 YYKプロダクション カラー ビスタ 77分

監督/沖島勲    脚本/沖島勲    出演/阿藤快  田村勇馬 遠藤恵里 下杉一元 松川新 洞口依子

 

 『YYK論争 永遠の“誤解”』から8年ぶりとなる沖島勲の新作が完成したので、9月からの公開を前に一足先に見せていただいた。先日、小田原映画祭で上映された際に観に行き損ねていたので有難かった。

 デビュー作『ニュージャック&ヴェティ モダン夫婦生活讀本』以来、『出張』 『したくて、したくて、たまらない、女。 』と4本しか監督作品のない寡作ぶりであるが、足立正生が『幽閉者』で復活し、若松孝二が『実録・連合赤軍』を撮り、大和屋竺の『愛欲の罠』が発見上映されるに及んで、沖島勲が新作を撮らないで良いわけがない。

 沖島勲本人を見たのは、今回の試写会の前に一度だけある。昨年明治学院大学で行われた『第11回日本映画シンポジウム「若松孝二」』の際にゲストで登壇した際だ。その時の様子はコチラに書いたが、一部引用しておくと、

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第二部に、沖島勲のトークがあったが、沖島勲を見たのは初めてだった。貴重だったのは、自身が助監督として係わった若松プロ製作の若松・足立作品について列記したことで、これまで、前述の映芸の足立特集号に寄稿したもの等、極く僅かな資料しかなかった足立の影に隠れがちな沖島勲若松プロの関係が語られて良かった。

 沖島が吉田喜重の『水で書かれた物語』の助監督を務めたことは知っていたが、続く『女のみづうみ』では一気にチーフ助監督に抜擢される予定だったというエピソードは初耳で、結局製作延期となった為に若松プロに参加したらしいが、吉田喜重が沖島をかなり認めていたことが伺え、前述の寄稿文でも『鎖陰』のチケットを吉田喜重が大量に購入してくれる一景が出てくることからも、沖島がそのまま吉田喜重の元に居た場合どういった展開があったろうかと思った。

 以下、沖島が語った若松プロでの助監督歴だが、足立正生の作品には『堕胎』『避妊革命』『性地帯』と就いている。若松作品には『情欲の黒水仙』『白の人造美女』『日本暴行暗黒史 異常者の血』『性の放浪』『性犯罪』『網の中の暴行』『新日本暴行暗黒史 復讐鬼』『金瓶梅』『天使の恍惚』ともう一本オムニバスにも就いているらしいのだが、若松のオムニバスと言うと、初期の『おいろけ作戦』や後年の『パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち』ぐらいしか記憶にないので、そんなものがあったかと思っていたが、沖島もタイトルが思い出せなかったらしく、「平沢君、調べて!」と言われるや、平沢剛がフィルモグラフィー一覧を頭を抱えて見入る光景が展開され、平沢剛という後世への語り手を入手した若松映画の幸福を思ったりしたが、その後オムニバスの一本は発表されなかったので依然不明のままだ。自分も帰ってから調べたが、該当作はないようで、より詳細に『キネマ旬報ベストテン全集 1960-1969』の各年の公開作一覧でも見て調べるしかなさそうだ(このシリーズ、高いのに無理して学生の頃買っていたが、70年代版以降刊行されずに終わってしまった。キネマ旬報社は所詮その程度の会社かと再認識した)。又、可能性としては、タイトルのみ判明していて内容が不明な作品も多いから、その中にオムニバスがある。或いは、フィルモグラフィーに欠けている作品がある。或いは、変名で撮った作品に含まれている(大杉虎が自身の変名だと今回も語っていた)。或いは昨年初めて実物を観た若松プロがラブホテル用に量産した短篇ピンク等、幾つか可能性があるが、何にしても沖島が就いた作品というのは思ったよりも少ないのが意外だった。最後に沖島が若松について、一般的に異端だ何だと言われるが、「真っ当な仕事をし、堅実に(映画を)手掛けた」ヒトだと語っていたのが印象的だった。

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 上記文中で不明だった沖島が助監督に就いた若松のオムニバス映画は、その後偶々『大和屋竺ダイナマイト傑作選』を読んでいて判明した。それによれば、『密通』という1967年製作の作品で、若松・向井寛・山本晋也の3人によるオムニバスである。若松編の脚本は、大和屋竺。記憶で書くが、若松の『俺は手を汚す』では、確か監督料名目で撮ったと語っていた。

 というわけで纏めておくと、沖島勲の若松作品への助監督としての参加は、『情欲の黒水仙』『密通』『白の人造美女』『日本暴行暗黒史 異常者の血』『性の放浪』『性犯罪』『網の中の暴行』『新日本暴行暗黒史 復讐鬼』『金瓶梅』『天使の恍惚』の10本ということになる。その中で、『性の放浪』と『性犯罪』は自身の脚本だが、映画史的に語られる60年代若松プロを支えた沖島勲としては意外と本数は少ないような印象を受けるが、足立の『堕胎』『避妊革命』『性地帯』にも就いていたことを思えば順当な数字かもしれない。又、その貢献からすれば若松プロで監督したのが1本だけとは、少ないようにも思えるが、『ニュージャック&ヴェティ モダン夫婦生活讀本』のDVDに収録された高橋洋との対談によれば、若松からはそれ以前から撮れと言われていたようで、延々と一年ほど企画を思案した末に撮ったとことである。この辺りがその後の監督としての命運に現れているかもしれない。思い出したのは、松竹ヌーヴェルバーグの連中が一斉に監督に昇進した際、田村孟が監督することになり、企画を思案している間に、そう遅れを取っては不味いと吉田喜重木下恵介に泣きついて監督昇進(大島渚の主観をそのまま引用)して、さっさと『ろくでなし』を撮ってしまったのが、田村と吉田のその後に大きく違いが出たのではないかという大島の言葉を、フト、足立と沖島の関係に置き換えて考えてみたりもしたが、沖島のノンビリしたペースで作品を作っていく流れは、五月蝿いメッセージを声高に作る連中よりも好ましい。

 

 そんな沖島勲の新作は、一万年後の日本だった場所を舞台にしたSFである。つまりは、監督作の合間というよりも、脚本家としての沖島のピンク以降の代表作である『まんが日本昔ばなし』のパロディとして考えても良く、予感として沖島の映画人生の総括的作品になるのではないかと思った。

 

 

 <解体されていく映画>として『一万年、後....。』を観ていた。冒頭で、助監督がセットで準備する姿が映し出され、これから舞台になるであろうセットを引いて見せてしまう。既に映画の解体はここから始まっている。しかも、セットの前に据えられたカメラは35mmだが、実際にはAG-HVX200で撮影されたビデオ作品で、上映もプロジェクターである。日大映画学科以来、35mmで映画と接してきた沖島勲と現在の映画との断絶を思ってしまうが、それは悲観すべきことではないと画面を観る限りは思ってしまう。と言うのも、画面の充実ぶりに瞠目したからで、現在、インデペンデントの日本映画の多くで使用されているパナソニックのDVX-100以降の同系であるAG-HVX200が使用された本作だが、足立の『幽閉者』でもDVX-200Bが使用されていたので、足立・沖島が現在において映画製作にビデオを導入する、又はせざるをえない状況に置かれた中で、ビデオとどう向き合って使用するのかを、24P撮影可能なフィルムライクな色調を可能にするカメラであるがゆえに興味深く観ていたが、基本的に方法論は足立・沖島共に共通している。セット撮影を主にし(沖島の場合は全篇セット撮影)、カットを綿密に割り、照明をきっちり当てる。これは、同じカメラを使用した他の多くの作品とは決定的に異なる。DVベースで撮影する作品の大半はオールロケで、カメラに機動力があるゆえにハンディか簡易のステディカムで撮り、カット割は綿密とは言い難いものが多い。照明は殆どがノーライティングだ。流石、年配の監督は違うと簡単に言っている場合ではないのは、足立も沖島も撮影所時代の日本映画の世代ではあるが、自主映画からピンク映画へと歩んだのだから、彼らの関わった当時の作品を観ればわかるが、ロケが大半であり、余裕のある現場とは言えない中で量産してきた。従って、ビデオなんだし、オールロケでカメラを振り回した映画を作っても良さそうなものだが、スタジオ(または廃墟ビルをスタジオにして数杯のセットを組む)で、丁寧にカットを割り、光を当てている。すると、プロジェクター上映であっても実に陰影のあるカットが映し出され、VX-1000とかの頃でもライティングをちゃんとやってやると見違えるようになっていたのだから、フィルムライクな映像を作れるこのカメラならより効果は上がっており、芦澤明子の撮影の見事さによって、画面が充実している。何故、彼らは恰も撮影所を経験したかのような形式で映画撮影を行うのか。厳密に言えば、彼らは撮影所システムと無縁に映画を作っていたわけではない。学生の頃から助監督として参加していた現場には、東映や新東宝の作品もあったと言うし、彼らと付き合いのあった吉田喜重大島渚は正に撮影所出身者だし、若松の『金瓶梅』は東映撮影所で撮影されているし、スタッフも撮影所出身者が大半を占めていたことを考えても、撮影所システムを知る世代であることから、こういった撮影になるのだろうか。ビデオだし、ノーライティングでも映るから良いという発想はなく、きちんと光を当てて、きっちりとカットを割ることは当たり前という認識のもとに作られた映画たちなのだと思いながら観ていたが、雑に撮られたビデオ作品を目にすることが多いので、ここまで丁寧に作られた作品を観ていると心地良い。

 

 

 全身タイツ姿の阿藤快が、AfterEffectsの雷のエフェクトを画面に走らせながら室内に登場する冒頭を観て驚いたのは、あっという間にタイツを脱いでしまい、地味なTシャツ姿になったことだ。最近で例を挙げれば『ダフト・パンク エレクトロマ』でもそうだが、子供がヘルメットかぶってるだけで面白いだろ、と延々とそれを見せたりする実にくだらない外見の一瞬の笑いだけで、ずーっと引っ張る風潮にイライラしていただけに、今回も全身タイツだけで延々引っ張るのではないかと危惧したが、異世界へ入る際の小道具として使用しただけだったので、安心した。

 以降、最後までまるで昭和30年代を思わせる一万年後の一室で展開していくが、時として演劇臭がしてしまうのは仕方ないとは言え、突飛な世界を噛んで含めるように観客に語って聞かせる沖島勲の手馴れた語り口で、違和感なくその世界に入ることができた。言葉遊びの箇所、日本語が一万年後では変わっていると一々字幕を出すのが好きではないが、<映画>を意味する言葉が<やめとけ>というのは、一般受けは全くしないだろうが笑った。

 自分が大好きだったのは家の外を歩く怪物たちで、窓に映る影でしかその姿は見えないが、室内セットだけで展開する物語であっても、こういったシーンで作品の世界観は一気に広大に広がり、映画のレヴェルが一段ポンと跳ね上がる瞬間を体感できる。又、壁に照らし出される嘗て阿藤快が作った映画というのが『ニュージャック&ヴェティ モダン夫婦生活讀本』であることに驚く。サイレントでかなり長く自作を映しだすが、この段階で、阿藤が沖島自身であることが分かる。更に、壁に照らし出される阿藤の母親を洞口依子が演じているが、沖島勲の新作に洞口依子という映画史的な感動は置くとしても、そこで見せる表情が素晴らしい。このヒトは50年代の小津でも、60年代のピンク映画でも80年代の黒沢清でも、どこにでも登場可能なんだなと思ってしまえる表情をスクリーンの中に更に投射された映像で観ることができる。

 ラストは冒頭同様、カメラをも入れ込んだ撮影の様子を見せて終わる。自身を主人公にした未来話を、映画を解体させながら見せていったが、最終的に映画は解体されずに終わった。沖島勲は次もまた映画を撮ることになるだろう。

 

 

 足立正生の作品同様、沖島勲の作品を際立った傑作だとか、心震える秀作と思ったことは一度もない。作品そのものよりも、存在の面白さの方に興味があるんだろと言われてしまえばその通りなのだが、本作なども傑作とは思わない。しかし、面白い。こういう作品が存在してくれることが嬉しい。足立作品もそうだが、こういう作品があることで映画は面白くなって厚味を増す。こういう作品を劇場で目撃した時、映画を観続けることの幸福を覚える。評判の良い極上の作品だけを厳選していたら絶対に味わえない面白さに満ちた作品であり、自主映画規模の作品だからこそ可能になった沖島勲そのものを晒しきった作品に対面した時、それはやはり無条件に支持を表面するしかない。

 

 『一万年、後....。』は、ポレポレ東中野で9月8日(土)よりレイトショー公開される。尚、9/8と9/15にはオールナイトが企画されており、沖島勲監督・脚本作の全作上映という貴重な上映の機会なので逃してはならない。上映予定作か下記の通り。個人的に狂喜しているのは、一昨年の若松特集で観損ねた若松孝二の『性の放浪』と、未見のままだった『性犯罪』が上映されることで、この2本がずっと気にかかっていただけに、ようやく観れるので殊の外嬉しい。『性の放浪』は『人間蒸発』のパロディ、『性犯罪』はヌーヴェルバーグをやったと言われているものである。

 ■9/8(土)監督作品ナイト 23時開場 23時15分より

『ニュー・ジャック&ヴェティ』

『出張』

『したくて、したくて、たまらない、女。』

『YYK論争 “永遠の誤解”』

監督作一挙上映!

※上映前にトークあり。

 

 

■9/15(土) 脚本作ナイト 23時開場 23時15分より

『性の放浪』若松孝二監督 出口出(沖島勲)脚本

『性犯罪』 若松孝二監督 出口出(沖島勲)脚本

『紅蓮華』 渡辺護監督 沖島勲脚本

映画脚本作一挙上映!

※上映前にトークあり。

 

■『まんが日本昔ばなし』「蛇女房」「八郎潟の八郎」「ムカデの使い」(いずれも沖島勲脚本)特別上映あり

※『一万年、後....。』とカップリングして上映予定

 

http://www.1mannengo.com

 

『夜にほほよせ (SEX予備軍 狂い咲き)』☆☆ 

監督/林静一   脚本/林静一  出演/かしわ哲 葉山るゐ 流滝人 市村譲二

1973年 日本 若松プロ カラー シネスコ 63分

 1973年製作の本作だが、前年は若松孝二にとって、60年代の怒涛のピンク時代の総括とも言うべき年だったと言える。1972年は、「天使の恍惚」をATGで製作した年であり、足立正生が現在のところ最後の若松作品の脚本を担当した「(秘)女子高生 恍惚のアルバイト」が製作された年でもある。「赤軍-PFLP 世界戦争宣言」「天使の恍惚」の赤軍を巻き込んだ騒動を経て、非常に映画-が作りにくい時期に入っていたことは明らかで、又、60年代中盤から70年代初頭にかけて若松のパートナーだった足立が日本を離れたことで、若松のフィルモグラフィーを参照すれば、ここで前半生が終了したことがわかる。

 実際、「夜にほほよせ」が製作された1973年に若松が監督したのは「(秘)女子高校生 課外サークル」1本のみである。本作について若松は前述した「俺は手を汚す」で『これはもう、まるっきり損した映画だな』としか語っていない。これまで足立、大和屋竺山本晋也、山下治、沖島勲、小水一男等を若松プロから監督として抜擢し、大島渚が監督する場でしかなかった創造社とは対照的に、場としての若松プロの有効性を示したわけだが、林静一という外部からの異業種監督の登場は異色である。

 上映前に配布された資料 から、本作が爆弾事件をモチーフにしていると知り、俄然興味が沸き、期待に胸躍らせたが、本編に接すれば、往年の若松映画の如き、ラストに羽田空港に突っ込むとか(「テロルの季節」)、新宿三丁目交番やマンションが爆破(「天使の恍惚」)されるといったカタルシスはない。実際の事件を基にしているが、林静一は、爆弾というカセを外してしまう。

 若い男女の日常にインサートされる彼のイラストによって、映画は奇妙な違和感に包まれる。しかし、この違和感は若松映画にも若松プロダクションの他の作品にも感じることのできない奇妙な魅力でもある。

 相当状態の悪いプリントで、退色しているし、随所に画も音を欠けているのだが、タイトルは公開題である「SEX予備軍 狂い咲き」が一瞬出る。これは欠けたものなのか、タイトルを消す為に意図的に切られているとも思わせるものだった。スタッフクレジットが興味深かったのは撮影助手の高間賢治は60年代末の作品から就いているから珍しくないにしても、和光晴生のクレジットは「天使の恍惚」でしか見ていなかったので、彼が若松プロの助監督として実際に機能していた様子が伺えた。林静一は和光晴生とどう接していたのだろうか。スタッフで興味深いのは以前も書いたが、吉岡康弘が撮影を担当していることで、何故伊東英男ではなく、吉岡なのだろうか。

 正直言って、吉岡の助力があったであろうとは想像できるにしても、やはり下手さが目立つ映画だった。勿論、フィルムがボロボロなので各所が欠けているとは言え、ショットの繋ぎや、脚本の不味さなど、挙げていけばきりがない。しかし、外灯の傘に付着している巨大な蛾を煽りで捉えたショットが3回インサートされる素晴らしさや、全編に流れる、はちみつぱいの主題曲の素晴らしさや、印刷工場で機械の前で呆然と立ち尽くしている主人公をロングで捉えたショットの素晴らしさ、赤を基調にした色の配置の素晴らしさ。殊にカーテンや壁紙に赤が配されているのは良かった。又、遊園地で男2人、女1人で交代に乗り物に乗りながら話すシークエンスの素晴らしさには感動させられた。

 鈴木清順や、つげ義春的にデフォルメされた世界観のみで押してしまった方が、林静一の世界観がより明快に出たのではないかと思えるが、それを初監督且つ、低予算のピンク映画で求めるのは酷というものだ。

 むしろ、ちゃんとピンクやってることをこそ評価したい。カラミは割合濃密で、1973年なら、ここまでの露出が可能だったという意味で見ることもできるが、性交を終えて鏡を前にしてティッシュに口からザーメンを出すショットなど、「マルサの女」で松居一代が股間にティッシュを挟んだまま歩いて行くショット的なエロチズムが溢れていた。

 個人的に期待した爆弾映画ではなかった失望はあるのだが、以下ネタバレになるが、林静一は主人公が電車に爆弾を仕掛け無差別テロを行うのではなく、全く逆に自ら線路に飛び降り、電車によって命を絶つという行動に出る。事実と180度異なる設定に変更したのは何故なのか。自ら死を宣言して実行することが最大のテロであると思う。

 若松プロ若松孝二プロデュースの作品は「裏切りの季節」「堕胎」「避妊革命」「性地帯」「性遊戯」「女学生ゲリラ」「ニュージャック&ベティ モダン夫婦生活讀本」「叛女 夢幻地獄」「噴出祈願 15歳の売春婦」ぐらいしか観ていないが、その中でも「夜にほほよせ」は、最もリリカル且つ愛に溢れた作品に仕上がっている。